ルネサンスの現代的意味
6月3日
ブルクハルトの名著『イタリア・ルネサンスの文化』を車中で読む。文化にこだわる本なので、美術が出てくるとそれは美術史にお任せしようとなるし、科学が出てくるとそれは科学史にお任せしようとなる。しかしそうした美術や科学が沸き起こる文化的基盤については徹底して論述しているというのがこの本の1つの特徴である。ルネサンスという概念を最初に正確に規定した本というだけありその内容はとても丁寧である。目次の大項目だけ見てもそれは見えてくる。Ⅰ芸術作品としての国家、Ⅱ個人の発展、Ⅲ古代の復活、Ⅳ世界と人間の発見、Ⅴ社交と祝祭、Ⅵ風俗と宗教。この中でもⅣ世界と人間の発見こそ本書の最も有名な章と言われている。そしてその内容の中でもなかなか面白いのはこの時代は階級制度は有名無実となり、世の中はフラットに変化し、教養と体力こそが人を図る価値だったという点である。さらに世界を発見するとともに風景美を発見したのも、風景画に先立ちこの時代だったというのも興味深い。神から開放され人間は神さえも人間にとってのものとしていくうえで俗化したというのもルネサンス絵画を読み解く重要な示唆であろう。
さて読み終えてふと現代のことを考えるとコルビュジエを近代のルネサンス建築家と呼んだ南條史夫氏の言葉が蘇る。近代の神たる機械と合理主義の呪縛の海に身を投じ、そこから這い上がるコルビュジエが現代を暗示していたというその言葉である。21世紀が期せずして、作るから使う、機械から人、建築から環境(風景)へとそのベクトルの向きを転じているその状況はまさにルネサンスと二重写しに見えてくる。