音楽家の厳しさ
少しセンチな話だが、僕は小学校のとき何かの文集に将来の夢と称して小澤のような指揮者になりたいと書いたことがあった。ヴァイオリンをやっていたけれど最終的には指揮者になりたかった。小澤だって師匠の斉藤先生からチェロを習っていたことを知っていたので、弦楽器をやっていることはオケを振るにはプラスだと考えていた。だから小学校のかなり低学年からオケのスコアを読むのが趣味で一人スコアを見ながらレコードを聴いて棒を振るオタクだったのである。
ところが小澤はあまり日本にいないので聞くチャンスが無かった。やっと中学生になって第九を聞きに行ったときは感無量であった。そのころ外国からすごいのが来ると殆ど全部聞きに行っていた。小遣いは無かったが音楽会の切符と本代はいくらでも出してくれる親だった。カラヤンもメニューインもハイフェッツも、とにかくオケとヴァイオリンは行った。しかしやっぱり小澤の感動が一番大きかった。
そんな訳で小澤と武満の対談はいちいち応えるのだが、一番応えたことがある。それはあの厳しい武満が小澤が勉強不足で「おれなんか全然駄目だ」と悲観し、自分と戦っている姿を見てショックを受けたという話である。厳しい武満がショックを受けるほど小澤は自分に厳しいという話である。凄いなあーと思う。建築家(僕を含めて)なんてそう考えると本当にいい加減である。音楽家の方が厳しい。それはもう厳然とした事実だと思う。その差を埋めなければ駄目なんだとつくづく思った。そうしないと建築は何時までも似非アートである。