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うやむや力

ベイトソンによる情報の定義は「違いを生む違い」A differnce which makes A difference と言うもの。細かいことは分からないけれど、例えば赤いポスターと青いポスターがあるとする。書かれていることは同じ。字面はまったく一緒である。しかしこのポスターから受けとる情報(イメージ)は異なる。つまりあるモノの物理的な差は、受け取られた差になることで初めて情報となるということだ。そうなると情報は生き物であり、人があるモノからどのような差異を受け取るかは無限の可能性を持つということになってしまうのである。同じ「坂」という漢字が印刷された2枚の紙があるとする。肉眼で見ると両方とも確かに同じ字だが、印刷会社が違うせいか200倍に拡大すると最早まるで異なるモノであるかもしれない。あなたはその場合どちらの状況からこの坂を理解するだろうか?それによってこの情報はまるで異なるモノになってしまうのである。
しかし社会はそんな差をうやむやにするように動いている。このうやむやがないと社会は止まってしまうから。しかし難しいのはこのうやむやを使っていい場合といけない場合が暗黙に決まっているということであり、それを探り当て行使する力ーうやむや力が世の中にはある。そしてそれを使える人間が賢いと言われるのである(いいか悪いか知らないが)。

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コメント

色ってなんでしょうね。

マクルーハンの「メディアはメッセージである」ってのは、情報を「内容」と「形式」の視点から見ましょうというようなことを言っていて。
つまり、「あなたが好きです=内容」と言ったとしても、「告白」、「電話」、「e-mail」という「メディア=形式」の違いによって、実は伝わる内容が変わってしまう。
ゆえに、メディアは単なる情報のキャリアーに過ぎないなんてことはなくて、メッセージそのものだということらしいですよ。
色って、美学的なニュアンスでは何になるのかは分かりませんけどね。

えっと,話をふられていますか……? 青なら青の慣習的な意味について歴史的に辿れます.宇宙論的な意味合いとか,政治的な意味合いとか.タウトにとってのポリクロミーとか,モダニズムにおける無彩色とか,他にもテーマがありえますよね.

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