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文化を嘆く?

辻井喬が芸術院賞を受賞したというニュースを聞いたのは一ヶ月前。もちろん詩人として名を馳せた人だとは知ってはいたが、二足の草鞋でこれだけの賞を取れるものだろうか?と疑問に思っていたのだが同世代のある人が例えば『伝統の創造力』(中公新書)などを読めば彼の才能のに接することができるという。
その本を読むと、日本と西洋の伝統の差をこう述べている。「日本の伝統は、過去のもので静的。一方西洋のそれは現在に生きており、動的で皆が活用していくものである」
日本の経済の衰退と文化の劣勢を嘆く氏はこうした東西の伝統のあり方の差を問題にしている。
この手の本を読むと、もちろんその理屈が正論であることに疑問の余地はないのだが、僕にはそうした危機感がない。何故なのだろうか?昨日林さんと会ってお話ししても思うのだが、この手の上に昇りつめて時間のある人は危機感にさいなまれやすいのではないだろうか。失礼を承知で申し上げているのだが、そうでも考えないと彼等の危機感をというより自分の平常心を説明できない。私とて、様々な問題に、ある種の先の見えない不透明感をもつことは多くある。しかしそれは沸き起こる不安のようなものにはなりえない。とにかく掻き分けていくのが筋であろう。と思ってしまう。その時に、自分ではどうしようもない文化の流れのようなものも感ずるのである。そこをいくら客観的に嘆いていてもそれは時間の浪費にしかならないように感ずるのである。
違うだろうか?

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コメント

時間があると、つい考え込んで、あらゆる事象に足りない部分やふがいない部分見えてしまうことはきっとあるのでしょう。でも、そこからくる焦燥感のようなものが、少しでも状況を良くしていきたいというリピドーに繋がる気がします。

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