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日記っぽくない日記

日記の内容は何時考えているのですか?とある人に聞かれた。答えは、こうして打ち始めてそれからである。と言って打ち始めてからしばし打つのを止めて考えにふけっているわけではない。なんとなく書くことが頭に湧いてそれを手が勝手に打っている。
実はその昔日記を最初に書き始めた頃は日記というつもりで書いていたのではなかった。中学の頃だったと思う。梅棹忠夫の『知的生産の技術』という岩波新書を読んでその中に出てくるダヴィンチの手帳という話に感動して自分もダヴィンチのように常に手帳を持ち歩き気になること発見したことをメモっておこうと思ったのである。であるから、その手帳に書くことは毎日の日常の備忘録的なものであってはならず、ある画期的発見でなければならなかった。それは結構自分にとってプレッシャーであり、何らかの発見をしなければならないと朝から晩までモノを上から下から左から右から見るようになった。だから書こうと思っても毎日書けるものではなかった。その後就職して、もう発見ノートでなくともいいと思い、日記をつけようと始めたのだが、やはり癖が抜けない。所謂日記というものにならない。つい発見テーマについての文章という形式に知らず知らずになってしまう。すると逆に一日中今晩何を書くか考えるようになり、考えがまとまらないで夜を迎えると書くのに時間がかかっていた。
それがこのブログになったらあら不思議。別に朝から夜書くことを考えているわけではないのだが、時間がかからなくなった。ワープロなんだから当たり前と言えば当たり前かもしれない。数倍早く文章を記せ、かつ消せ、かつ入れ替えられるという安心感。何も考えずに書き始めても怖くないということだからかもしれない。

さてそうやって書く内容はやはりどこか日記ではなく30年前の癖を未だにひきづっている。何か題をつけないと文章を書いた気にならなくなってしまった(ダヴィンチとは言いませんが)。題のついた日記なんてあまりない。

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