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キーファーはラトゥーレットに何を見たか?

アンゼルム・キーファーというアーティストがいる。現代世界1と言われるドイツの巨匠である。2004年に彼はとんでもない作品を発表した。7つの天の宮殿というタイトル。コンクリートの断片を積み上げたもので一つの塔の重さが約90トンあるそうである。この塔がどのような観念で作られたかはここでは問わない。問題はキーファーがこれを作る上で、ル・コルビュジエのラトゥーレットに大きな影響を受けたという事実である。

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キーファーはこう言う「それ(ラ・トゥーレット)は私(キーファー)にとって非常に刺激的な建築で会った。というのは非常に単純な物質、近代的な物質が精神的な空間を作りだすのに用いられていたからである。偉大な宗教と偉大な建築は、砂のように、時間の断片である。ル・コルビュジエは砂を精神的な空間を構築するために使っている。私はコンクリートの精神性を発見したのだ。コンクリートは象徴を鋳造するために大地をつかうのである。想像的で、精神的な世界のシンボルである。彼は「天」を地上に創りだそうと試みていた」

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さてこのキーファーの一連の思考の流れについて多木浩二はこう言う。「ル・コルビュジエは、キーファーほど象徴的な次元で思考していたのではないし、コンクリートを象徴的に『砂』と考えていたわけではない。しかしル・コルブュジエの建築そのものが、ル・コルブュジエとは全く異質な一人の芸術家を生み出すことになった。」
(以上多木浩二『表象の多面体』青土社2009から抜粋)
さて話は長くなったが、私なりに自分の問いへの答えを記すなら、僕は建築の形の向こうに設計者の観念を読むことはできないと思っている。それは僕の観念であり設計者のそれではない。しかしそれは期せずして設計者が持っていたものと合致することもあるかもしれない。しかし合致したから良いわけではないし、合致しなくともこのキーファーの例が示す通り、一つの芸術を生み出すほどの力を与える源なりうるのである。一方設計者は形の向こうに観念を作ることができるかと言えば、それは観念なしには作りえないと言わざるを得ない。観念なしに形を作れる人がいればそれはかなりの造形の天才である。しかしそう言う人はめったにいない。
さてそんな気持ちでみんなの意見を読んでみた。そして私なりに(佐々木君ではないが、極めて主観的に、というのは上記僕の意見が正しいという確証はないから)選ぶなら、やはり藤岡くんのコメントだと思う。上記僕の気持を明快に筋を通して語ってくれた。
さて今週はOB諸君の意見が寄せられていない。研究生の武智くん。これは授業の一環だからサボらないように。それから平岩。今まで名前をあげなかったのに他意はない。ぜひコメントを寄せてほしい。

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2009年05月24日 08:24に投稿されたエントリーのページです。

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