本日のお題は歴史である。講義の中でも言ったことだが、歴史を建物の中に取り込むには様々なレベルがある。そのレベルはおそらく抽象具象という軸の中で語られるものと思う。つまりその場所の歴史的な物理的環境を模倣するというような具象的方法から、かたやその地域の持つ童話や民謡の構成(3部形式が多いとかリズムが4分の7拍子であるとか)そうした特徴を建築の中に取り込むというようなきわめて抽象的なものまである。さてここで問う。君が善光寺表参道に何かを設計する場合、そこの歴史をどのように取り込むだろうか?ビルディングタイプは自由である。歴史を取り込む方法を提案し、その方法の妥当性を説明してほしい。
そう言えば次の評者は誰だっけ?田中
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「軒の向き」と「新しい素材の導入」
歴史を取り込む方法として、自分はまず、規則性(共通点?)を見出す。規則性というのは現在に至るまでに作り上げられたcontextの中にあるものだと考える。それは素材、様式、形状、色などの物理的なものであったり、人の営みや観念といった精神的なものであったりする。また、その規則性は対象とする範囲の大きさによっても変化する。例えば、今回のお題のように一つの通りの場合や、町全体の場合、両隣のみの場合でその規則は変わってくるものと考える。
規則性を見つけた次に、どの規則を取り込むかを選択する。その行為は逆に、どこに新しさを組み込むかをも同時に考えることになる。その新しさがまた新しい規則を生み出し、町が更新されていくきっかけとなる。T先生のおっしゃる個別的更新原理的な…
さて、ここからは実際に善光寺の表参道から見出した規則を挙げ、何を取り込むかを選択する。
・瓦屋根(とってつけたような庇も含めて)
・漆喰仕上げ(色で言えば白)
・屋根の形状(切妻の平入が多かった気が…)
・格子
などの規則を見つけたとする。自分はこの中から軒の向きを選択する。切妻の建物は屋根の軒が道路に向かって伸びており、(おそらく最近)とってつけたような庇の軒も道路に向かって伸びている。そして、新しいものとして素材(ガラスや金属など)を組み込む。(去年の自分の第5みたくなってしまいますが…)そうすることで、町並みとしての規則性(過去)は保ちつつ、未来への可能性を広げられるのではないかと感じる。
今回は「軒」という物理的なものを取り組もうとしましたが、もし分析する時間や資料があって、範囲が広く、もしくは狭くなったのならまた違ったものを選択していたかもしれませんね。変な終わり方ですいません。
投稿者: 柳瀬研究室 09ta338j 原尚平 | 2009年05月29日 18:55
日時: 2009年05月29日 18:55
善光寺の表参道には、たくさん歴史的な建物が多く残っている。それらを見ると、やっぱり歴史的な街並みを残していきたいと思った。
しかし、その中には、表参道ということで、無理に切妻屋根に見せた建物や、陸屋根の建物に瓦の軒庇をつけた建物などがある。それを見ると無理にそんなことをする必要があるのか?表面上の操作だけであれば、やらない方がいいのでは?と、改めて表参道に行き、感じた。
そこで、技術に注目して歴史を取り込むということを考えた。
表面上の形を見るのでは無く、目にみえる形を作っている“技術”自体を見ることの方が良いように思えたからだ。
では、在来工法で建てればいいのか?表参道に建っている建物のディテールを使えばいいのか?漆喰塗りをしたらいいのか?
そうではなく、それを再解釈する必要がある。
授業でも言われていたように、歴史というものもどのようにでも捉えられる。その時点での、ある出来事への解釈であると考えた。そこの解釈が重要なのだ。
現在まで残っている建物の技術を垣間見ることができる部分に注目し、今、生きている自分が、それを解釈し直し現代に応用さすことが、歴史を取り込むことに繋がると考えた。
ただ、新しい技術を使うのでもなく、昔の技術を真似るのではない方法が、技術を再解釈することだと考えた。
追記
技術の再解釈という行為は、コンテクストを考える上でも役立つように感じる。例えば、古い建物が平入りで表参道側に軒庇を出すことは、今も過去も変わらない、人の流れというコンテクストに着目しているように思える。(←これは自分の解釈)こういった事を明らかにしていける行為でもあると思う。
投稿者: 坂牛研究室 09TA308G 香川翔勲 | 2009年05月29日 21:00
日時: 2009年05月29日 21:00
今回は、なかなかお題が難しく、部屋の中だけでは、論がまとまらなかったので、香川君と原君と実際に善光寺に行ってきました。
そこで、発見したのは、無理矢理に歴史を取り入れようとした建築があるということ。表層だけ蔵風の壁を付け足し、ファサードを蔵に表層は蔵にしたもの、2階は洋風であるのに、瓦屋根のひさしをつけたもの(景観の規制もあると思いますが)。単に、付け足すだけならつけない方がましだと感じました。ここまでは香川君と同意見です。
歴史とは、時間を含むものである。時間がたっているからこそ歴史であり、そこが最重要であると考える。では、古いものを単に使えばいいのか?そうでもないだろう。使うべきなのは、その街とともに、時を刻んでいけるような素材である。新しいものを建てれば、必ずそれは、新しいものである。であるなら、その先にどのように歴史を刻んでいくかを考え、計画すべきである。使う素材は、コンクリート打ちっ放しでもいいと思う。確かにコンクリート打ち放しの建物が、そこに建った瞬間は違和感があるだろう。しかし、コンクリートには、すぐに雨のシミなどの汚れが付く。そうすれば、すぐに建築は街になじんで行くと考える。であるから、表参道に存在する、洋風の建物もその表面に街とともに時を刻み、今では景観賞に選ばれるほど街になじんでいる。
また、逆に新しいのになじんでいる建物も存在した。仲見世の北西の角にあるお店である。このお店はガラスを多く使っており、普通の今までの建物よりも開口部が広い。瓦なども使っていることも影響しているだろうが、自分が注目した部分はスパンである。その建物はそれまでの建物と同じぐらいのスパンで、太めのサッシが入っていた。現在の技術では、大きなスパンを楽に飛ばせるがそれは、今までの表参道に存在するものから感じる身体感覚とは大きくはなれてしまう。街に存在するスパンと合わせることで、それまで存在する建物から感じる身体感覚と合致し、全体としてつながりのあるものになると考える。
表参道に存在する身体感覚をそれまでの歴史として取り込み、素材によって街とともに時を刻むことが、過去と現在、現在と未来をつなぐこととなる。
投稿者: 09TA328A 田中邦幸 | 2009年05月29日 21:23
日時: 2009年05月29日 21:23
僕は、先日の授業で、Morris W.の言葉に大変感動いたしました。
1:過去を無視できないのと同様、現在も無視できない。
2:現在において、現在という歴史をつくる。
当たり前であるけど、日頃僕たちが忘れていることです。ただの感想ですいません。
ここからが本題です。
まず、善光寺とその門前は、一体である。善光寺は、時代とともに増加した参詣者を受け入れるため、現在のような特異な屋根形状をもつ建物に変容してきました。また、同様に、その門前である宿坊や商家、町家も、変容してきました。ひとつ例をあげるならば、商家である藤屋旅館や中澤時計本店などは、大正時代に流行した技術(その当時の最先端の技術)がいかされた建物となっております。以上のように、善光寺とその門前は、その時代に合わせて型を変え、変容してきたという歴史をもっています。これは、T先生が日頃からおっしゃっている、善光寺がもつ『寛容性』という性質のあらわれだと考えています。
善光寺は、被災と再建の歴史を繰り返しながら、現在の姿へと変容してきました。また、同様に、その門前町は、善光寺以上の被災と再建の歴史を繰り返してきました。つまり、善光寺という場所では、連綿と再生および復活の歴史が紡がれてきたといえます。
以上をふまえ、僕が善光寺で設計をする場合は、今現在つかえる技術を駆使しつつ、善光寺門前で連綿と歴史を紡いできたもの(具体的にいえば、倒壊した家の部材など)を利用して、建物を再生または発展(改築に近い)を提案いたします。善光寺という場所では、変容(発展または進化)し続けることこそが歴史を取り込むということだと考えます。
今更ですが、みなさまの参考にしていただければと思います。
まず、善光寺の表参道(中央通り)について、簡単に歴史をのべたいと思います。
善光寺の参道の歴史は古く、すでに鎌倉時代に描かれたとされる絵図にみうけられます。また、その図には、善光寺の門前(参道沿い)にいくつかの建物がたちならんでいます。その後、弘治元年(1555)に武田信玄により本尊がうつされたため、信州の善光寺門前町は衰退し、多くの空き地ができたといわれています。また、善光寺門前町は、本堂と同様、多くの被災に見舞われてきたといわれています。とりわけ、弘化4年(1847)の善光寺大地震や明治24年(1891)の大火などにより、善光寺門前町は壊滅的な被害をうけ、多くの建物が倒壊しました。また、近年では、大正13年(1924)に中央通りの拡幅が行われたため、多くの建物の取り壊しが行われました。今なお残されている建物はあまりなく、ほとんどが中央通りの拡幅後に新築された建物です。
簡単ですが、失礼させていただきます。
投稿者: 土本研究室 09TA325G 髙橋 翔虎 | 2009年05月29日 21:24
日時: 2009年05月29日 21:24
表参道のデザインコードを読み取り、部分的に取り入れるという、歴史的な物理的環境を模倣する方法をとる。ただし機能を優先する。
まず、善光寺表参道に建築をたてる場合には、周辺との調和をはかることが大切であると考えた。善光寺表参道の現在の景色こそ、表参道が形成してきた目に見える歴史であると考えたからだ。歴史の中で形成されてきた景色からは、階高・軒の出・仕上げ材・平面構成など、一定のパターンを得ることができるだろう。しかし、上辺だけ取り入れて、中身が伴わないというのもおかしな話である。蔵の特徴を生かしながら、上手くカフェを作るなど、機能と外観を上手く融合することで、取ってつけたかのような違和感を解消できるのではないか。その中で、外観を犠牲にすることがあっても構わないと思う。町家の隣にたつ4階建てのオフィスビルもがっかりするが、似たような町並みがつづく伝建地区も、同じくらいがっかりする。
もちろん、具体的に視覚化された歴史のみでなく、もちろん文献や民族史の中で語られる歴史も大切だと思う。文献を追っていけば、表参道の歴史的形成を追って、表参道にたつ建築に共通する思想を見つけ出すなんてことも可能かもしれない。それでも、結局はその抽象的概念すら、建築として表現するには具体化することが必要となってくる。結局、バックグラウンドも大前提として大切だが、それをどう表現するのかが重要だと思う。
投稿者: 土本研究室09TA345A美作羽衣 | 2009年05月29日 21:35
日時: 2009年05月29日 21:35
歴史と呼ばれるものは誰が決めるのか。今回のお題をみてまずそう感じた。いままではその地に住み、その地に精通していて、その場をよく知る人たちが決めるものだと思っていた。その人たちの述べる「歴史」を「歴史」と信じていかなければならないと思っていた。なにかそこに使命感を感じていた。しかし、人の意見は所詮人の意見であるということを耳にした。たしかにそうである。その人たちが述べることで個人の感性がそこに入り混じっているわけで、それをすべて信じてしまったらその人の歴史を真に受けることになってしまうと思うからだ。
だから歴史の捉え方は人それぞれで統一、統制するなど、不可能なのである。歴史は感性に近いものでもあると考える。
そこで今回は建物の外観は街並みの評価をするにあたり重要な役割を担っていると考え外観からのアプローチを試みた。建築家はなにか設計するにあたり周辺環境というコンテクストを読み取り、それに対し、解答として建築の外観を決定する。それをいかに歴史を反映させるかを考えた。過去の様式を取り入れた設計を行うことは単なる表面的な模倣にすぎず、それは歴史を取り込む方法ではない。表参道にもいい建築や悪い建築というものがつくられ現在にいたるが、何をつくってもいいとは考えられない。歴史を取り込む方法は自分の感性でも良いんではないかとも思ったが、歴史を取り込む要素として「自然素材」を用いるという手法はどうであろうか。素材と言っても自然というのがポイントである。周辺の建物に使われている素材(漆喰など)であるとそれは模倣になってしまう。自然素材は昔から現在に至るまで多く使用されており、人々にとっては見慣れたものである。自然素材は長い時間を経ることで風化し、俗に言う「味」がでて建物に風格が目に見えて現れてくる。よって自然素材を用いた設計手法というのは、人々にとって見慣れたものであり、なおかつ変化しないもの、時間の経過による風化作用という3つ要素を含むということで歴史を取り込む一つの手段になるのではないかと考える。
投稿者: 坂牛研究室 09ta327c 立野駿 | 2009年05月29日 21:54
日時: 2009年05月29日 21:54
私が善光寺表参道に何かを設計する場合、どのようにそこの歴史を取り込むか。
善光寺表参道は、長野駅から善光寺までを結ぶ道のことで、商業ビルから国登録有形文化財まで様々なジャンルの建物がたち並ぶ。表参道のどのあたりにたてるかで、歴史の取り込む方法も変わってくると考えられる。仲見世から権堂のあたりまでは、比較的具象な建物が多い。それは、物理的環境を模倣したというよりも、たてられたものが物理的環境になったというほうが近いような気がする。だからといって、すべてが同じようなたてられ方をしているわけではない。宿坊もあれば、白壁の土蔵、または大正ロマンを感じさせるような建物もある。しかし、それらはなぜか全体として統一された景観をうみだす。
歴史を取り込む方法としては、かつて仲見世に課せられていた建築規制(今も?あまり詳しくないので確かではないですが…)に自主的に従い、そのうえで現代の要素を取り込むというのはどうだろうか。そうすることで、統一された景観を乱すことなく、歴史的な物理環境と現代の要素との融合をはかりながら、まちを更新してゆくことができるような気がする。
投稿者: 土本研究室 09ta330c 寺田聡子 | 2009年05月29日 22:07
日時: 2009年05月29日 22:07
「石畳という素材」
私は、善光寺の歴史を取り込む方法として石畳という素材を建築に取り込むことを考える。
なぜなら、善光寺まで続く表参道は石畳であるから。
石畳ならどこにもあるではないかと思うけれども、少し説明を聞いていただきたい。
善光寺までは、表参道を歩くことを余儀なくされる。
そして、表参道を歩くことが楽しみでもある。
この歩いて善光寺まで行くという行為は、江戸時代の参拝客も同じであったのではないかと私は考えた。だから、表参道を歩いて善光寺に訪れることが善光寺の歴史形成の一要因だと私は思う。
その歩くという行為を考えたときに、現在の私たちが表参道を歩く際に必ず触れているものがあることに気がついた。
それは、石畳である。私の場合、地面が土であるか、アスファルトであるか石畳であるかで、歩くときの感覚は違うと考えている。地面が土であるならば、身体全体が柔らかい感触を持つ。だから、善光寺の石畳を歩くときは「石畳の上を歩いているぞ」という感覚を身体が持っている。この感覚と善光寺の歴史を建築に繋げることはできないだろうか。
そこで、考えたのが安直に石畳というか石という素材を使用するということだ。石畳という素材を建築に取り込むことは、表参道を歩くことが作り出してきた歴史とその際の身体感覚の表現に繋がると考える。
投稿者: 09TA307J 小澤明也 | 2009年05月29日 22:08
日時: 2009年05月29日 22:08
都市が部分的に更新されていくことによって、時間の経過とともに都市全体の形態が変化していく。contextのときもこのような考えだったのだが、それまでの歴史との繋がりを見いだせないものが新しく都市につくられたとしても、この連続した更新が周囲を視野に入れて行われていくのであれば、関係を断たれた建築も周辺環境が変わることで新しい繋がりをつくっていく。
このように考えると、現在新しくつくるものもいずれは過去に飲み込まれ、歴史的なものへと変化していくのではないか。例え建てられた時点では歴史との繋がりがなかったとしても、時間が経てば地域との繋がりを構築していると思われる。そうなると、歴史を取り込んで何かを設計しても、時間が経過してからその場所に訪れた人には、それがつくられた当時、それまでの歴史をどのように取り込んだのか分からないかもしれない。
ここで歴史をどのように取り込むのかではなく、歴史をどのように未来へ繋いでいくのかを考える。
僕が提案するのは時間が経っても人に利用されいつまでも残るものである。そのためには設計の時点で人がどのようなものを必要としているのか、また今後どのように使われるのかを考えることが必要である。「現在」の地域と地域の人について知らなくてはならない。この過程にはそのときの時代背景が関わってくるだろう。その結果、時代背景を反映することで、連続した過去の中からその時代を未来に伝える(主張する)歴史として繋がっていくのではないだろうか。「単なる過去の一部」にはならないだろう。
お題とそれてしまったかもしれないが、上記したように現在もいずれ過去になり歴史性を帯びるとすると、このような考えも可能なのではないだろうか。
投稿者: 柳瀬研究室 09ta342g 細井一宏 | 2009年05月29日 22:44
日時: 2009年05月29日 22:44
善光寺は、駅側からまっすぐ伸びる参道を上った先にたてられている。
かつて、人々は参拝するために善光寺にむかって一直線に歩いていた。参拝を目的にあの場所まで歩いていたことを考えると感心する。現在ではなかなか考えられない。日々の平穏を祈る気持ちでいっぱいだったのだろう。
参道を歩くことをイメージする。進行方向にみえる景色を一点透視画法で書くとすると、僕であれば、中心に善光寺本堂を描く。なぜならば、本堂に向かう線(建物のライン、屋根のライン)に圧倒されてしまうからである。それは、参道を地形の観点からみた場合、駅側から善光寺に向かって上向きに傾いており、それを見上げるという行為によって、みえる線の数は平坦時よりも増え、目線が善光寺へと流される。このように、地形も善光寺を引きたてるこの場所特有の要素であると考える。この要素は、長年に渡り、絶えず善光寺を引きたててきたものであり、同時に、それは今後参道に提案する建物につなげるべき要素であると考える。
そこで今回あげる要素は、軒の線と高さである。これらを今後の建物に取り込む場合、具体的には、軒は両隣の建物にあわせ、善光寺に向かってまっすぐ伸ばす。建物の高さも両隣にあわせ、低層にする。これらを乱すと、善光寺の存在価値がなくなるように感じられるからである。僕の案だと、提案する建物が周りの建物に似てくる。これらを人は模倣と感じるかもしれないが、まあそうともいいきれないのではないか。どうなのか…。
今回は、景観に着目したが、文化などの抽象的な概念を建築に取り込むことについてはまだここで述べることはできない。今後の課題である。
投稿者: 土本研究室09TA323A鈴木久雄 | 2009年05月29日 22:52
日時: 2009年05月29日 22:52
今回の提案における歴史的コンテクストは「時代の表象としての表参道」と「参拝風景」である。
例えば法隆寺のような歴史的に重要な建築は、保存や修復と言う形式で残される。それは、過去の歴史として記憶・記録するためである。しかし、善光寺は今を生きている歴史であると思う。これは現在の善光寺詣りにおいて、珍しいものを見に行く事(観光)ではなく、訪れることに(参拝)に重きが置かれているからである。そのような点から、善光寺の歴史は現在にまで続いており、まさに今も生きている歴史であると思う。
さて、ここでの「生きている」には「現在に続いている」という意味の他に、「現在も変化している」という意味がある。それは善光寺の歴史が単に寺院の歴史というだけでなく、そこに参拝しにくる人々の歴史でもあると思うからである。そして各時代における人々の変化が表象するのが表参道なのではないかと思う。表参道の建物は本堂等とは違い、常に更新され、各時代の参拝の様子や、その変化が現れているものであると思う。つまり、表参道は参拝客と共に変化し、その時代を表象する場となっているということである。そしてその変化自体が善光寺の歴史の1部であると考える。
そこで、表参道の1区画に1階がカフェ、2階をギャラリーとした建物を設計する。まず、高さを周辺の建物と、平面を区画と合わせたボリュームを挿入する。そうすることで、この建物は表参道の1部の変化・更新となる。そして、全面をガラス張り、構造を鉄骨とすることにより、表参道に現代のテイストを表象させる。そしてこの内部では、隣接する建物をガラス越しに見ることで、現在の(あるいはこれまでの)表参道の様子を体感的に見ることができる。また、参道側に目を向けると、ガラス越しに参拝客を眺めることになり、「参拝風景」を客観的に見ることができる。
以上によりこの建物の利用客は善光寺の生きている歴史を体感でき、またこの建物自体も歴史の一部として機能することができるのではないかと考える。
投稿者: 竹森恒平 | 2009年05月29日 22:58
日時: 2009年05月29日 22:58
まず自分なりの歴史の捉え方を整理する。お題にもあるように、歴史には大きく分けて2種類あると考える。
物理的な形態としての歴史と、感覚的に捉えられる歴史である。
建築の特徴的な形態とか、素材とかは前者で、それに対してその場所に立って初めて感じる、体験的な歴史は後者に位置づけることができる。
後者はさらに2種類に分けることができ、そこに住んでいる人が感じる歴史と、そこになじみのない人が感じる歴史とに分類できる。
そこでお題に対しての回答であるが、前者の歴史の捉え方だと何をしても全てが模倣のように思えてきてしまったため、もう一つの感覚的に歴史を捉える方法を考えてみた。
ただ自分は長野になじみがないため、そこに住んでいる人が持っているような歴史を感じることはできないだろう。しかし、そこに住んでいる人が感じる感覚が歴史の全てというわけではなく、自分がそこに立った時に感じる感覚も、歴史の一端であると思う。
そこで善光寺表参道の人(自分も含めて)の動きをもとに考えてみた。表参道を歩く人は、ただ動線として利用しているわけではなく、その道沿いにある店の中を見ながら歩いている。自分も表参道を歩くときはそのように歩くし、そのような楽しみがあるから、善光寺に行く時は大体バスを使わず歩いていく。
そのような表参道の特性を取り入れるため、建築をできるだけ街に開くことを提案する。用途が何であったとしても、例えば低層部分だけはオープンカフェにするとか、もしくは機能はなくても、そのまま反対側の道に通り抜けることができるとか。できるだけ表参道の一部のような空気を建築の中まで引き込みつつ、建築内部の空気も外に滲みだすようにする。そうすることでその場所の空気を共有することができ、建築がその街の歴史を取り込むことにつながるのではないかと考える。
このように、長野にない自分が表参道に対してそのように感じたのも、表参道が培ってきた歴史の一つの表れであり、その感覚をもとに設計することも大切なのではないかと考えた。
投稿者: 坂牛研究室 09TA340A 藤岡佑介 | 2009年05月29日 23:14
日時: 2009年05月29日 23:14
善光寺は地元住民だけでなく全国からも参拝客の訪れるお寺であるため、この場所というのは長野県であり、また長野市であり、はたまた善光寺表参道なのである。この土地を長野県とみなすとき、山の近さや斜面等における歴史的な物理的環境は、長野県を直に体感できる要素と思われる。しかし、ここを長野市、元善町とみなす時はもっと細かく、長野県の他地域との差異を表出する必要がある。そこで「密度」をあげる。
この土地は傾斜があるので、建物を建てるには適していなかったはずである。しかし、善光寺の存在によってこの周辺は栄え賑わい、善光寺表参道というものが成り立っている。そして参道沿いの建物は面積いっぱいに建ち、隣り合う建物の間には隙間はなく、まっすぐ善光寺へと向かわせている。しかし、この善光寺表参道には区切りをつけている場所が存在する。それはセントラルスクエアのあたりである。セントラルスクエアの向かいには町並みから少し奥まったビルが建っており、その周辺が視覚上表参道のつながりを断っている。若干の疎である。
私が設計するにあたっては、この「密度」に注目したい。面積いっぱいに建てることが歴史の取り入れとはかぎらない。ドンと大きく視覚的な空地を設け、一直線であった善光寺への道に変化をもたらすことも歴史を取り込んだ上での操作方法の1つと考える。
投稿者: 丸山日惠 | 2009年05月29日 23:51
日時: 2009年05月29日 23:51
道というのは線的な空間だが、善光寺表参道はよりその性格が強い。参道は神に会うまでの気分を高揚させる空間であり、この道を通ることに強制はないにしても多くの人が参道を通り、善光寺に行く。それは交通網が発達し、道路が整備され多様な選択肢が生まれた現在においても変わらないように思える。つまり、建物や生活の様式が変化した現在においても、表参道における人の流れは変わっていない。これを古くから変わらない表参道の歴史とし、設計をする。
昔から変わらない人の流れを建築で表現するために、表参道を歩く人の写真や絵を展示した小さな美術館を設計する。今回の設計では建築自体に歴史を取り込むのではなく、歴史を映したものを建築に取り込み、歴史をよりストレートに表現したい。外観はあまり周囲の景観を崩さないような和風で低層の建築であればよいという程度にする。時代が変化する中で全く変わらないものを発見してくれたらそれでよいと思う。
投稿者: 柳瀬研究室 09TA319B 佐々木大輔 | 2009年05月29日 23:59
日時: 2009年05月29日 23:59
遅れてしまって申し訳ありません。時間は過ぎましたが、書かせていただきます。
歴史とは、そのものの積み重ねた時間という意味とそのものが時間のなかでつくりあげたものという意味があると思う。今回は、後者の意味を「文化」ということとする。積み重ねた時間という点から考えると、どんなに新しくて優れたものでも時間的な歴史という点においては一生勝つことはできない。一方、積み重ねた文化という点からは、新しいものの提案次第で文化という意味の歴史に近づくことができると思う。
そこで、私は善光寺表参道には、文化という意味の歴史を取り込んだ提案をしたいと思う。文化という意味の歴史があらわれるのは町並みであると思う。町並みにはその町の歴史を良くも悪くもあらわしていると思う。町並みからそのまちの歴史のポイントとなる要素を抜き出し、格子や軒の出などポイントをひとつだけでも、新しい建物に要素として加えることによって、歴史を取り込むことができると考えます。
投稿者: 土本研究室 09TA347H 脇坂日南子 | 2009年05月30日 02:17
日時: 2009年05月30日 02:17
今回の第7講『歴史』の評者は、この私、坂牛研究室の加藤です。
先ず、皆さんのコメントに対する全体的な感想としては、歴史の取り込み方に対する概念的な手法おいて、場所性をふまえて論じられていたと思います。ただ、その後行うそれらの論を設計方法に{落とし込む}={具体化する}段階で、うまく落し込まれておらず、尻すぼみなものが多いと感じました。
次に、皆さんのコメント内容を簡単にまとめると、歴史を取り込むという行為において、質料(材質感等)やかたち(部位の形状等)をそのまま残す、いわゆる模倣的な手法を“避けて”論じられていました。そしてその内容をみると、どちらかというと質料・かたち寄りに着目したもの(軒の高さ、部材再利用等)、関係性に着目したもの(規則性、密度等)、それ以外の要素に着目したもの(技術、参拝風景等)、歴史を取り込まず作ろうとしたもの(コンクリート、未来の使われ方分析)に分けられると思います。
そこで、今回のコメント批評に移ります。
今回の批評では、「善光寺表参道に設計する」行為に対し、歴史の取り込み方を述べ、妥当性を持って落し込まれているのか、という観点で見ました。また、「善光寺表参道」という場所性が含まれている以上、妥当性に関しては、表参道の特性との対応に重きを置きました。
先ず、表参道の特性としては、方向性・連続性・流れ・身体感覚に関して主に述べられていました。これらは、個別に存在するものではなく、まわりとの関係性によって構成される特性であり、模倣的な手法が避けられていたということもふまえると、善光寺表参道に設計する際には、関係性に着目して歴史を取り込むことが求められていることがわかります。
その点において、原君は規則性に着目し、表参道の通りの規則性を、歴史を取り込む方法として用いています。街並みとして軒の向きの連続性を取り入れ、質料を変えることにより、新旧を成立させている点で、ごく基本的な内容ではありますが、評価できると思います。また、鈴木君は、通りとしての連続性に対し、歴史的事実とパースを用い、スカイラインと建物のライン(通りとの境界線)の連続性を、歴史を取り込む方法として用いています。その結果としての軒の操作は、原君とかぶることころもあるのですが、善光寺の求心性とパースを用いた説明が明快である点で評価できます。丸山さんについても、通りに沿った建物の群としての「密度」に着目し、それにより善光寺へと向かう求心力を持った歴史的特性を捉えています。
また、これらの表参道における関係性よりも、より一般化した感覚の関係性として、脇坂さんの歴史の捉え方を挙げます。歴史を、そのものの積み重ねた時間、そのものが時間のなかでつくりあげたもの(=「文化」)の2つに分けており、そのうち後者は周囲との関係性によりつくりあげるものと考えられます。そして、「文化」に対応する歴史を取り込むことにより、「文化」になる=接近することができるとし、新しいものに対する歴史の優位性と、それに接近する術が述べられている点で評価できます。しかし、その結果、街並みの要素を少しずつ加えるという行為は、若干安易で具体性に欠けるような気がしました。ただ、文章の構成としては、このままの方がきれいな気がしますが…。
以上、今回の「善光寺表参道において、歴史をどう取り込むか?」というお題のコメントを、歴史を取り込む手法と、表参道の特性との対応に着目して評してきました。
その結果、今回の最優秀賞は該当なしとし、優秀賞として、鈴木君と脇坂さんの2名を挙げます。
先ず、最優秀賞該当なしの理由は、お題に対して、概念的には論じられているが、具体的手法に落とし込む時に妥当性がうまく論じられていない点、現状で既に行われている手法に収束してしまう点です。
次に、優秀賞の鈴木君については、表参道の特性とそこからくる歴史を取り込む手法としての連続性を明快に示している点を評価しました。鈴木君のコメントの最後に、模倣に収束してしまうのではないか、と書かれていますが、スカイラインやスケール感を操作し、参道からのパースのラインを歴史として残しても、それ以外の部分(輪郭より内部のかたち、質料等)に新規性を持たせれば、全く模倣には接近しないと感じました。
そして、もう一人の優秀賞の脇坂さんについては、歴史の捉え方を明快に示している点を評価しました。そこで示された、「そのものが時間のなかでつくりあげたもの」を「文化」として、{歴史を取り込む手法}={「文化」という歴史に接近する為の術}としている点は、直観的に理解することができます。
連休スペシャルとして、長々と書いてしまいましたが、以上で今回の評を終わります。
投稿者: 坂牛研究室 09ta310j 加藤光 | 2009年05月30日 13:30
日時: 2009年05月30日 13:30
歴史です。
ふだん意味など意識せずに使ってる概念ほど、考えだすとむずしい。
僕もこのお題のときに悪戦苦闘した記憶があります。
今回のお題で注目して見ていたのは、「歴史を取り込む方法」の妥当性と、手法としての許容力です(後者は普遍的な歴史を取り込む方法というくらいの意味です)。歴史の解釈の仕方には重きをおいていません。なぜなら歴史自体が語れることも重要ですが、提案する側としては、それが計画に生かせてこそ歴史を語ることに意味があると思うからです。
評さないとはいいつつも、まず歴史をうまくとらえていたのは脇坂さんです。脇坂さんは、「歴史とは、そのものの積み重ねた時間という意味と、そのものが時間のなかでつくりあげたものという意味(文化)がある」としています。概念としての歴史を簡潔に述べていると思います。ですが、概念のレベルで解釈してそのまま設計しようとすると、なかなか具体的な提案に着地しません。それに、文化に着目するならば、町並み(これはどちらかというと具象的)とはいわずにもっと、抽象的で妥当性のあることがらに注目したほうが、脇坂さんの提案にはリアリティが増したと思います。
次に、加藤光がいうように、みな具体的に提示された手法は、説得力が足りませんでした。ただ、鈴木くんの方法をみちびく前段階にあたる思考のプロセスは、大人びていて評価できます。それは表参道の場所性をもっとも俯瞰的にとらえた歴史解釈だと思いました。だけれども、やはり提案が弱かったのが残念です。
さて、ここで僕が評価ポイントとしてあげた項目が、方法の妥当性と許容力であったことを思い出しますと、この感覚に近かったのは原くんです。まず敷地から「規則性を見つけた次に、どの規則を取り込むかを選択する。その行為は逆に、どこに新しさを組み込むかをも同時に考えることになる」としています。そして原くんの提案では、選択した規則の形式を保ったまま、素材の変化に新しさを見出しています。そうではなくて、どの規則を選ぶかは、継承という意識からだけでなく、更新という視点からの意味もあるのだと。だから、規則を選択する時点で新しさが芽生えているのだとしてくれれば文句なしでした。それがなぜ「歴史を取り込む方法」の妥当性と許容力につながるのか。
僕の考えはこうです。まず前提としておきたいのは、設計の目的は現状を維持することではないと思います。設計することとで、その敷地、場所または地域の潜在的な可能性を広げることが重要です。そう考えると、歴史を取り込む方法の妥当性は、見出される規則の選択にあるのではなく、それを選択する個人の主観にあるのだと思います。なぜなら、規則の選択に妥当性を求めるということは、継承的な態度に近いために、その場所の可能性はおいていかれると思うんです。一方で、場所の可能性を拾いあげて、広げていけるのは規則を選択する主観です。いったん、上で述べたように、選択すること自体が継承と更新の両義的な意味があるとできれば、単に歴史=過去という後ろ向きな図式を一気にブレイクスルーできます。そして、創造力などの主観が活躍できる余地が広がります。次にそういった主観が建築に還元されます。すると、その地域は新しい建築によって、これまでとはちがった状況が生まれるのではないでしょうか。
さらに、具体的な方法をみちびく「選択すること自体が継承と更新の両義性」という態度をもっていれば、異なるプロジェクトでも許容できます。つまりプロジェクト毎に方法は異なっても、方法をみちびく普遍性があらわれます。
ということで、今回の最優秀武智賞はむずかしいですが、原くんの初受賞です。「規則性を見つけた次に、どの規則を取り込むかを選択する。その行為は逆に、どこに新しさを組み込むかをも同時に考えることになる」というところまで言えたことが、選考の最大のポイントです。
投稿者: 武智靖博 | 2009年05月31日 00:08
日時: 2009年05月31日 00:08
皆さん、御苦労さま。全員のコメントを並びに加藤、武智の評も読ませていただいた。コメント全般に対する感想は二人の評者同様である。歴史解釈に重きがおかれ、肝心の提案が希薄と感じた。「歴史を取り込む方法」とは「歴史解釈」ではなく「設計手法」のことである。つまり言葉から建築像が思い浮かぶこと。これが先ずは重要なポイントである。さらにその手法の妥当性であるが、いつも言うように設計とは100%演繹的にするものでもなければできるものでもない、どこかでleap(飛ぶ)しなければいけない。この飛び方の美しさが時に設計の見事さにもつながる。
ではどう飛ぶかである。方法は様々でそれこそがその設計者の個性と言ったものになろうかと思うが、今回のコメントにおいて見られたものでは抽象化や読み換えである。
さてそうした観点から見て僕が気に留めたのは田中君と小澤君のコメントである。
先ず田中君。スパンに注目したことが良い。木造建築のスパンは日本では普遍的なもので表参道の独自性を示すものにならないと思うかもしれないが構造を変えることで新たな表情が生まれるだろう。これをRCでやったのが丹下さんであり?間柱のリズムも考えも細い鉄骨を建てるなら佐藤淳さんの構造設計のようになるかもしれない。田中君のコメントに構造を変えるとはなかったがサッシュに置き換えていたことがポイントである。
つまり既存の周辺環境の持つ特質を一度抽象化(リズム)しそれを現代的素材で作り直しているところがみそである。これは原君がやっていることと同じだが、原君の選びだした規則である軒の向きは基本と言えば基本過ぎる。
次に小澤君。石畳の足の裏の触感性に着目したことが面白い。足の裏で感じたことを建物の外壁に使っても仕方あるまいという考え方もあるが、足の裏が視覚化される可能性もある。目が触覚を喚起することを触視というが、ここでもそれが起こるだろう。ここでは周囲の床材を壁に使うと言う読み換えをしたことになる。
以上抽象化や読み換えが設計をleapさせている2つの例である。2人の例を僕の質問に対する答えとして妥当なものとするにはもっと説明が必要で、他方、他のコメントの中には総合的に二人のものより優れているものもあるかもしれないが、ここでは設計像が明確に浮かぶことを第一義に考えてみた。
投稿者: 牛 | 2009年05月31日 17:15
日時: 2009年05月31日 17:15
私は建築の中に記憶を挿入することはできないと思う。それは、人は建築を記憶(=意味)として捉えるからである。
丸田一の「場所論」によると、「事」はそれが起こった場所と共に記憶されるという。しかし記憶される「事」とは「場所」だけではない。ゆえに「場所」は記憶の一部として存在する。また、丸田は「場所」とは人が「意味を見出した空間」であるという。ここから、人は建築空間に意味づけをし、それを記憶として捕捉する生物だと考える。
そもそも、人は全ての「物」に意味を見出し(それが「事」)それを記憶として捕捉する生物なのではないか。そして、記憶に序列をつけることであらゆる「事」との関係性を築いている。すると、建築(全ての「物」も)は記憶の外側に存在することはできても、人に対しては記憶(=意味)としてしか関係できないものとなる。
すると、建築にとって重要なことは「いかに人と(=人の記憶)と関係するか?」となる。これは「衝撃的」なものが良いということではない。人は重要な記憶は保存し、瑣末な記憶は忘却する。つまり、建築に求められることは重要な記憶となり、人の根幹に関わることである。
ここで、記憶にとって重要なものとは視覚的なものでなく、身体的なレスポンスを得るもの、つまり意識の有無に関係なく、人の行動を感化するものと考える。すると、建築への認識が変わってくる。例えば「ドア」における考察は、主に物理的な空間の分節の程度に関してである。しかし、人間の記憶(意味)にとって重要なことは、ドアを「開ける」という行動の記憶(意味)である。我々は自動ドアの前後より、手動ドアの前後の方に、空間の強い分節を感じる。これは開けるという行為の記憶が空間の記憶(意味)の切り替わりを強く意識させるからではないか。それは、どんな豪邸の扉にも自動ドアが使われていないことに現れる。ここでは、開けるという行為の記憶(意味)がそれぞれの部屋における記憶(意味)を私たちに引き寄せるのである。
投稿者: 坂牛研究室 09TA326E 竹森恒平 | 2009年06月12日 20:27
日時: 2009年06月12日 20:27
すいません。先ほどのコメントですが、次の回のコメントを間違えて入れてしまいました。気がづいた方、お騒がせして本当に申し訳ございません。・・・誰も気づかないですよね?
投稿者: 坂牛研究室 09TA326E 竹森恒平 | 2009年06月12日 20:38
日時: 2009年06月12日 20:38