本日のテーマはformである。formには二つの意味が備わっているのがポイントだった。古来プラトンが定義した精神で感じ取るイデアの如きも観念。そして一般に言われる目に見える形状である。さて講義の時に僕は何度か形の向こう側にある何かを感じ取ることは難しいと言った。だから僕は建築のタイトルには常に形に表れ読み取れることをタイトルにしている。たとえば連窓の家とか大小の窓とかである。そこに形而上学的なタイトルをつけるのは嫌だし、わけありの想像を掻き立てるようなタイトルもつけない。しかしこうしたストイックな(僕としては)タイトルの裏側には実は形の向こう側にある観念を希求しているのでありそれをもしかしたら読みとる人がいるのではないかと期待もしている。そこで君たちに問う。君は建築の形の向こうに設計者の観念を読みとることができると思うかあるいは出来るべきだと思うか。また形の向こうに観念を作り上げることができると思うかあるいは作り上げられるべきだと思うか?そしてyesでもnoでもそれはどのような理由からか事例も含め論理的に展開して欲しい。佐々木君鋭い評を期待する。