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杉本博司展とメグロアドレス


安井智貴 繰り返して春 2012

凄い雨だけれど原美術館に行った。そうしたらかつて見たこともないほど人がいた。杉本博司人気だろうか?杉本博司の写真、所蔵の絵画等を通して「ハダカから被服へ」というテーマを見せるもの。
写真というのはおよそ表現というもののなかで必然的に対象があることを避けられない。昔は絵画だってそうだったけれど今では必然ではない。いや具象の絵画や彫刻だって描かれ、刻まれたものが対象を写し取ったかどうかなど分からない。でも写真はどんなに加工されようがそこに対象があることは不可避である。
しかし杉本博司と言う人は写真から対象を消した写真家ではないかとその昔水平線を撮った写真を見ながら思った。そこにあるのは対象ではなく彼自身ではないかと感じた。
今回の写真はマネキンにシャネルに始まる近代モードを歴史のように着せてカッチリ撮るものである。実にドライである。そこにはモデルもいなければ服の躍動もない。死んだ服だけである。そしてその服は高い解像度で刻銘に写し取られている。一体杉本は服に何を見ているのだろうか?

品川から目黒に移動し目黒美術館で目黒在住の若いアーテイストによる「メグロアドレス」という展覧会を見た。安井智貴の彫刻は漆で仕上げられた少女である。リアルな生の人のようでいてもちろん生きているわけではない。動きだしそうで、語りだしそうでいてでも冷たい。ということにふっと思いが至る時に先程の杉本の写真同様に突如「生の無いこと=dead」が浮上する。


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