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2011年01月29日

建築家白井晟一展

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白井晟一の展覧会が汐留ミュージアムで開かれている。
昨年虚白庵が解体前に公開されて見に行きその濃密な空間に圧倒された。もちろんそれが白井建築との最初の出会いではない。学生時代長崎の親和銀行本店に同級生とレンタカーを借りて大阪からでかけた。目指したのは白井ではなく磯崎だったが。その時見学ルートでもらったパンフレットには確か「高貴なる贅沢」と書かれており大いに感激した(展覧会では「高貴なる欲求」ということになっていたが)。人間の欲望、贅を俗なものではないレベルで扱っていることに感じ入った。その後石水館、ノアビル、松濤美術館、善照寺と見ることとなる。しかしそれらの印象をはるかに凌駕したのは虚白庵である。
虚白庵の天井伏図の原図1/50が展示されていた。美しい図面である。書き込みの字が3ミリでレタリングのようである。図面テクニックの問題はさておき。虚白庵を実際に見て僕が最も衝撃的だったのはまさに天井だった。照明の配置である。ただでさえ暗い白井建築において天井照明はまた極端に少ない。そしてその少ないダウンライトやブラケットが不均等に、ある部分に固めて偏って配置されていたのである。それはまるで庭の植栽の配置の如し。白井の平面計画は概ねそれほど複雑ではない。左右対称であり幾何学的なものが多い。しかい虚白庵はさまざまに謎が散りばめられている。自邸だからということもあるのかもしれないが、だからこそここに白井本来のものが現れているように感じる。

2011年01月10日

小谷元彦展

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森美術館で小谷元彦の展覧会が行われている。展覧会のタイトルである「幽体の知覚」とは目に見えないものを見えるようにするということのだと音声ガイドは言っている。
会場最初に上の写真が並んでいる。そもそも昨日の日曜美術館にこの写真が紹介されていたので見に来る気になった。それもテレビでこの写真の説明を聞いたから。その説明とはこうである。かわいい女の子が手にしているのは潰れたラズベリーである。人間は小さい頃は視覚に映る像にではなく体に感じる物と戯れていた。それが大人になるとそうした楽しみから遠ざかる。と、説明はなされる。
なるほど彼にとって触覚と言うのが目に見えない物というわけだ。まあそれは展覧会のコンセプトとしてうなずける。でも僕が面白かったのは、それを表現するテクニックの部分。触覚的問題を扱おうとするとどうしてもそうした物質性を前面に押し出した「もの」を強調するのだが、小谷の方法はその物質性を見落としそうなくらい小さく、しかし衝撃的に表している。そして、むしろその物質性を感じ取る感性(少女のあどけなさ)の側を表現しているところが新鮮だった。
そんなことを思いながら、この場所に最近アート好きになった娘がいたらどう思うだろうか考えた。そして娘の感性を基準にするとアートが3つに分類できるように思った。先ずは娘の想像力をかきたてるヒントが少ないアート。こういうアートはこちら側の知識が想像力を補完することで成立つ。この女の子の写真はそういう類である。だから質料性とか幼児性とかいう知識がない娘にとってこの作品はちょっと分からないかもしれない。あるいは違う切り口で興味を持つかもしれない。一方、現代アートのかなり多くのものは(小谷のものも含めて)そうした知識や興味がなくても想像力を煽るヒントが山のようにある。言ってみればディズニーランドのアトラクションのように分かりやすく刺激的なアートである。こういう類は娘も大好きである。とても分かりやすい。一方古典と呼ばれる美術は古典の知識か、アートのテクニックを習熟しようとしたもので無ければまったくつまらない。あれは謎解きであり、超越した力に驚く場なのである。そして超越した力は自分がそれを多少ともなり経験しないと分からない。だから娘は嫌いである。