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2010年01月30日

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国立博物館で土偶展が開かれている。大英博物館に出張中だったものが帰国した記念展である。土偶なるものを最初に見たのは何時だったかよく覚えていない。しかし土偶と言うもののを最初に意識したのは多分大阪万博の時である。当時小学生だった自分が、お祭り好きの日本人の一員として万博に行き鮮明に記憶に残っていたものの一つがあの得体の知れぬ太陽の塔である。しかもあの塔の周辺のお祭り広場には丹下健三指揮する建設チームの手により巨大な屋根がかかっていたのだが、なんと太陽の塔はこの屋根を突き破り頭がその屋根の上にはみ出ていた。作者岡本太郎の合言葉「芸術は爆発だ」は当時小学生でも知るほど有名な言葉であり、塔がはみ出したのはきっと爆発だったのだと子供心に理解した。この塔が縄文の土偶に大きなインスピレーションを受けたものだということを聞き、そして多分当時この塔と一緒に土偶が新聞などに載っていたはずである。それが土偶との出会いではないか?
さてこの爆発を見たいと思い出かけたのだが、見て感じたことは爆発がイメージさせる破壊力や粗っぽさとは程遠く、実に繊細なデザインと技法そして、この立像土偶が示すような洗練されたデザインである。土偶は祭祀の道具である、それはその通りなのであろうが、一体これは誰が作ったのであろうか?土偶には男性はいないそうですべては女性。その証拠は乳房が付いているということだそうだが、祭祀に使うものがすべて女性でなければならないということはどういうことか?女性を作るのだから作っていたのは男性だったのだろうか?縄文時代からすでに、女性は描かれる対象であり描く主体にはならなかったのか?それとも土偶は女性しかいないという見方自体がおかしいのか?数千年前の話にどういう解釈をつけようともそれらはすべてが今の人間の楽しい解釈ごっこなのであろうが(考古学を蔑視しているわけではありません)それでも、いろいろな空想が広がっていく。それが古いモノを見る楽しさなのである。

2010年01月24日

セシル・バルモント

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オペラシティギャラリでセシル・バルモントの展覧会が行われている。オープニングレクチャーには切符を買ったが、センター試験で行けなかった。さて展覧会は3つくらいの部屋があり、最初の部屋は自然の拡大写真と文章が書かれた幅50センチ高さ数メートルのバナーが100本くらい天井からぶら下がっていた。最初はなんだかよくわからない感じで見ていたが、多分ここに彼のコンセプトが凝縮しているように感じた。大きな自然。そしてその拡大。さらにその上からなぞるようなスケッチ。とても面白い。次の部屋も自然の写真の外側にアクリル上にスケッチが広がる。そして最後の部屋にこの写真のヘッジという名の模型が展示されている。この鎖とクロスで出来たモデルは一種手品のようでもある。鎖が重力に抗いながら自立しているかのごとく見えるのである。理屈を考えればそんなに不思議なことではないのだが、一瞬今日を突かれる。入口でもらったチラシにこんな言葉があった「建築とは一見無関係なデザインの源泉へ入り込み、まだ見ぬデザインの可能性を煎じつめることである」バルモントを始め構造表現主義者(と呼んでいいかどうかはやや議論の余地があろうが)の建築への態度を100%肯定する気にはなれないのだが、この言葉には感ずるところがある。