« 肌色 | メイン | 日光、月光菩薩 »

ターナー賞

%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9.jpg
クリス・オフィリ 「ノーウーマン・ノークライ」1998『英国美術の現在史』森美術館2008より

昨日から六本木の森美術館で「英国美術の現在史-ターナー賞の歩み-」展が開かれている。風景画の巨匠ターナーの名に由来し、賞を主催するテートギャラリーがターナーの作品を多く所蔵しているということでこの名がついている。しかし風景画を対象とした賞ではない。純粋に現代美術に与えられる賞として84年に始まったものである。それほど古い歴史があるわけでもないが、現代美術の賞としては世界的な権威になりつつあるようだ。
僕の好きなアーティストも多く受賞している。86年受賞のGilbert&George。僕は97年頃、パリの美術館で彼等の大個展を見たときから好きになった。ユーモラスな政治風刺が特徴である。91年受賞のAnish Kapoorを知ったのはそんなに古くない。テートの新しいギャラリーに作った巨大彫刻を知ってから好きになった。その後金沢21世紀やフィレンツェのグッゲンハイムなどで彼の作品を見たが視覚を歪ませるような目への挑戦がいつも刺激的である。 93年受賞のRachel Whitereadは壊される建築の内部を石膏でとって保存するなど、空間的な作品が多い。95年のDamien Hirst, は言わずものがな。切断された牛の親子の本物が今回展示されている。衝撃的である。2000年のWolfgang Tillmansの何でも食ってしまうような写真の撮りかたはどこがいいというわけでもないのだが今風である。
さてそんな既知のものに加えGillian Wearingの親子喧嘩のヴィデオ逆回しは岩井俊雄のオルゴールの逆回しを思い出させる。また警察官数十名を1時間静止させて整列させてヴィデオに納めた作品もなかなか興味深い。またChris Ofiliの点描画は普通の構図が繊細さを併せ持ち、惹かれた。
現代美術は極めて個人的かあるいは政治的なイベントと化している。しかしカプーアやオフィリの作品は対象とその技術を見せてくれる。そうした行為ももう一つのアートの形式として、あるいは本来のアートのありようとしてまだ力があることを示してくれる。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://ofda.jp/lab/mt/mt-tb.cgi/3656

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)