格差建築の瓦解
マッカーデルのレオタードスタイル1942年
後期ゼミは社会と建築をテーマにやっている。8つの項目を作りその一つが「階級と建築」というタイトルである。建築はファッション同様、過去には階級格差の象徴のようなものだった。それがいかに平準化され、しかし平準化の中に未だに残る格差の反映とは何か?それ読み取ろうとしている。貴族がいなくなれば、貴族のための服も家も無くなるのは当然といえば当然であるが、必ずしも社会の動きが先立ったわけでもない。上流社会が健在でもその上流社会の服を革新的に瓦解させたシャネルのようなデザイナーがいたわけで、そうした文化的な平準化は社会とデザイナーがパラレルに推し進めて行ったものと思われる。そして大きな潮流を見るならば、文化の大衆化の発信地はアメリカである。その潮流の震源は自動車を庶民の手が届く値段に引き下げたフォーディズムと言われている。それによっていわゆる大衆消費社会が誕生する。そしてファッションで言えばリーバイスでありクレア・マッカーデルによるアメリカンカジュアルの誕生である。マッカーデルはシャネル同様、スポーツ好きで機能性を重視した素材と形で服飾革命を起こしたといわれるが、シャネルがあくまで上流社会をターゲットにしていたのとは異なり、大衆の身体と強く結びついていた。
シャネルはコルビュジエとよく比較される。コルビュジエも住むための機械を標榜しそれまでの洋式建築(階級に見合った様式を表現する建築)を瓦解させたわけだ。しかしコルのターゲットもシャネル同様上流階級であったと思われる。では建築におけるマッカーデルは誰なのだろうか?建築において階級格差を名実ともに崩壊へ導いた人物はだれか?そう考えると実は的確なカウンターパートが思い浮かばない。他の文化同様アメリカを見回してもピンと来ない。ライト、イームズ、ノイトラ、シンドラー、その他ケーススタディハウスの建築家たちの建築がヨーロッパのそれに比べ、はるかにカジュアルなものとなってきたことはよく引き合いに出されるミースとエルウッドの比較などでも明らかではあるが、それでもアメリカンカジュアルな建築家たちのクライアントはやはり庶民ではない。。そう考えてみるとどうも建築の平準化を推し進めたのはヨーロッパでもアメリカでもなく日本だったのではないかという仮説に導かれる。戦後の住宅不足から「最小限住宅」などという発想に至ること自体が世界には例をみないものであろうし、ウサギ小屋と卑下された住宅を建築作品に転化させたこの日本の建築家の馬鹿力(というよりそれしかやることが無かったのだが)は明らかに建築を階級表現から引きずり降ろした原動力だったのではなかろうか。篠原一男が大きな家を作ることの意味をあれほどコンセプチャルに正当化しなければいけなかった60年代の日本の住宅建築の思潮がこうしたことを象徴しているように思えるし、もちろん21世紀にはいった現在も未だに「小さいことはいいことだ」と言わんばかりの勢いがあるのはとても日本的である。いかがだろうか?