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ムンクの装飾

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フレイアチョコレート工場社員食堂内部 ムンク展カタログp150より

その昔ムンクの展覧会に行った記憶がある。有名なあのメランコリーに満ちたおどろおどろしいタッチはよく覚えている。のだがムンクが好きなわけでもない。だから今回西洋美術館のムンク展に出かけたのは彼の絵が見たいというよりは彼の絵画が装飾であるというキャッチフレーズが気になったからである。
ムンクの絵画は多くがどうも壁画として室内装飾として描かれたようである。ムンクはフリーズ(古典建築の帯状の装飾)という名のついた連作壁画を描くのである。それらを自分のアトリエの壁面上部に帯状に並べたり、展覧会でも壁面上部を帯状に白い壁にしてそこに連作を展示するという方法をとったようである。こうした建築内装装飾としての絵画を描くことを彼はパリ滞在中に学んだそうだ。
まあその理由はどうであれ、絵画が建築内装という位置づけで考えられていたことは興味深い。つまりそれまで単体として描かれていたタブローが複数の意味の固まりとして考案され、更にそれらが並べられるときの全体のデザインの構成も緻密に検討されているのである。例えば帯状に並べられたときにタブローの外側に木の模様を全体を統一するイメージとして描くことが検討されたスケッチも残っていたりする。
話はムンクとは離れるが、建築の一部にこうした建築とは異なる何かが張り付くということの意味を考えてしまう。古典建築のフリーズならばそれは建築の一部なのだが、絵が帯状に張り付いたらそれは建築の一部とは言えない。しかしてそれは悪いことなのだろうか?モダニスティックな純粋自律主義で考えればそれはよしとされないところだが、タブローがぶら下がらないで白い壁面にフレスコ画のように帯状に描かれていたら?あるいは室の一部に隣室に向かって大きなガラス窓がありそのガラス窓の向こうに大きな絵画が見えていたら?それもある意味の壁画であり、装飾なのだが、そうなるとタブローがぶら下がっているのとは少し意味合いも見え方も変わってくる。フリーズの構成を少し変えるだけでなんだか凄く魅力的な空間が作れそうな気がするのだが。

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