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高さと大きさ

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今年の夏は期せずして、イタリアの古都を巡りそう日をおかず日本の古都を訪れた。イタリアは建築を見る目的だったが、京都は別の目的なので古い寺社を二つ見ただけだった。しかしそんなわずかの時間だが過去は過去を呼ぶ。知恩院の伽藍の中に身を置きながらその薄暗さがサンピエトロの闇を彷彿とさせる。周囲にいる外人観光客を見る自らの視線の向きがイタリアでは逆だったのだろうと想像しながらローソクならぬ賽銭を投じて祈る。そしてカメラを構えながら思う。日本の伽藍は横一の画面でなければ納まらない。彼の地ではだいたい縦一である。縦にしないとあの高さは入らない。言うまでも無く西洋の伽藍は東洋のそれに比べて高い。それは中世近世に限らず、古代を振り返ってもピラミッドと古墳を比べれば前者は後者の3~4倍くらいの高さはあるだろう。もちろん日本にも塔の歴史はあるのだが、塔は空間を作るものではなくシンボルでありランドマークである。
一体この西洋の縦と東洋の横は何が理由なのだろうか?構造的問題か?石の方が木より高さに強いとはなかなか考えにくいのだが?地震というのなら地震の無い中国には背の高い建物があってもよさそうであるがそうでもない。もっと宗教的問題なのか?天との関係がキリストの方がより密接ではある。しかしそれなら宗教以前のピラミッドはなかなか説明がつかない。
知恩院を見た次の日京都造形芸大の植南先生の勧めで南禅寺金地院の庭と小堀遠州好みの八窓の茶室を見た。ここには長谷川等伯のかの有名な「猿猴捉月図」がある。等伯の猿は現在3点現存するそうだがその1つである。更に狩野探幽とその弟の尚信の作と言われる襖絵がある。植南先生曰く、この庭も茶室も襖絵もすばらしいのだが余り知られておらず人もいなくていいとのこと。確かに来ている人は理由のありそうな人ばかりである。静かにゆっくりとこれら貴重文化財を鑑賞できたのだがやはり、日本の近世はイタリアの同時代を蘇らせる。フレスコ画と襖絵が重なるのである。ミケランジェロやラファエロと狩野や等伯の質を比較するのは意味があるのかどうかは別として、両者の大きさが異なるのはどうも客観的事実である。日本の絵は西洋の絵に比べて小さい。せいぜい大きくても二条城の襖絵くらいが上限か?フレスコ画のスケールには及ばない。しかし一方で偶像を禁じなかった仏教では絵ではなく仏像が巨大化したり量がつぎ込まれた。伽藍は絵で満たされなかったが彫像で満たされ、絵は小さく発展したということか?
垂直性と大きさ、水平性と小ささ、そんな対比を感じる京都の一時だった。

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