日展100年
娘の夏休みの美術の宿題に付き合って「日展100年一目でわかる!日本の美術この100年」なる展覧会に行く。文展( 文部省美術展覧会:1907年 ) に始まり、帝展(帝国美術展覧会:1919年) 、新文展( 1936年) 、日展( 日本美術展覧会:1946年) と名を変えたこの展覧会はその名前が示すとおり、お国主導で行なわれた。それゆえ日本を代表する美術としての保守性が漂っている。そもそも洋画、日本画、彫刻の3分野で始まり、工芸、書道などは徐々に加えられていった。
展覧会場において日本画は前近代のモチーフの延長から始まり、洋画は黒田清輝などの印象派的絵画が象徴するとおり、ヨーロッパ絵画の手法のスタディが続く。それらの絵画は着実にその技術力を上げているように見えるのだがそれはあくまで技術である。そういう中でああやはりすごいなあと感じた作品は棟方であり東山。二人の作品は近代日本美術において強いオリジナリティの輝きを放っている。それは構図であり、色であり、そして対象である。棟方の山のような人とその羅列、そして紙の裏からの着色技術。一方東山の山とそのトリミングあるいはシンメトリの配置、微妙な色の感性は印象派的でもない。
もちろんこれはコンサバティブな展覧会の100年の歴史に登場する芸術家の中での話しである。もっと独特な前衛性を持ったアーティストがこの100年の中に登場してきたのは論を待たない。しかし最も正統を歩んできたアーティストの中で彼らは明らかに特筆に値する。それはこうした展覧会だからこそ鮮明に浮かび上がる事実である。