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決定的瞬間


カメラ狂ではないけれど今までかなり多くの写真展は見てきた。しかし造形芸術の中では写真は今ひとつ人を感動させる力は少ないと感じていた。何故だろうか?シャッターを押せば写るのだから作品制作に時間がかからないと思っているからだろうか?つまり簡単に出来上がるものには余り感動しないということである。しかしそう思うそばから、そのシャッターチャンスを得るまでにその被写体と数年の付き合いをしなければならないこともあれば、一枚のために数日待たなければならないこともあるではないか?つまり簡単ではないはずである。という思いも頭をもたげるのである。
理由はどうあれ、いままで決定的なインパクトを受けた写真に出会ったことは無かったのである。しかし今日アンリ・カルティエ=ブレッソン展の中で見たインドの風景には少し立ち止まらせられた。しばし目が釘付けになってしまった。もちろんこう言う体験は往々にしてその対象からだけ引き起こされるものではなく、多くの場合自らの記憶のどこかが呼び戻されると言う精神活動を伴うものである。インドの風景も自らのインド旅行やともすればラオスの風景あるいは最近多く読んで得られた宗教的知識も手伝っている。それにしても対象の持つ力無くしてそれは起こらないものである。
写真は「カシミール州スリナガル」1948、丘の上に4人のボロを纏ったインド人が背中を向けて立っていたりしゃがんでいたりする。丘の向こうには平原が広がりその向こうには連なる山に雲がたなびいているのである。ボロを纏うのは多分女性であろう。その一人が山並み向こうからさす陽光に向けて両手をさしのべている。祈りの姿であろう。この余りに巨大な自然に向けて祈る小さな人間たちの姿に胸が詰まったのである。
ブレッソンといえば「決定的瞬間」という言葉で有名である。日常の中の一瞬の光景を切り取る目の持ち主だということである。水溜りを飛び越えるその空中に浮いた被写体の写真で有名である。この次この被写体は水溜りに落ちるのか、あるいは水溜りを飛び越えるのか?本日並ぶ写真も静止した画面は少ない。1秒後にはもはやこの光景は無いという作品ばかりである。その大きな理由のひとつは9割がたの写真には人物が入り躍動しているからである。更にブレッソンは実に絵が上手い。絵描きになってもいいのではと思うくらいの腕前である。彼の写真がすごいのはこの構図である。絵の熟練の中で培った構図の作り方が写真にも明らかに出ている。予測不能な人の動きを入れながら計算された構図の中にはめ込むためにはその名の通り、決定的瞬間を捉えるしかないのであろう。
尚インドの写真が見たい方は是非国立近代美術館に足を伸ばしていただきたい。

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