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2007年05月27日

コルビュジエ流行

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生誕120周年という理由のせいかコルビュジエが巷に溢れている。美術手帳、ユリイカ、もうすぐDETAIL JAPANで特集が組まれ、そして森美術館ではコルビュジエ展が行なわれている。かく言う僕自身がDETAIL JAPANにコルビュジエの現代的意義のような文章を書いているのだから、その片棒を担いでいるのだが、どうしてそれほどコルビュジエ?と思わないでもない。
いやつまり、僕自身は僕なりにコルビュジエの現代活用法を自覚しているのだが、それは僕の個人的問題だと思っていたのである。しかし、これだけ巷を席巻しているのを見るとどうも個人的な事柄ではないのだと感じてきたわけである。
コルビュジエ展の企画をした南條史生はコルにはモダニズム的思考とともにそれを超える、あるいは矛盾する多様性を包含する思考(人間的思考)が内在していたという点を認め、それが現代に繋がると指摘する。それは多分その通りで僕もそれには共感する。大局的には。
南條氏はその意味でコルはルネサンス的とも述べている。そうかもしれない。僕がチームA0でジェフリースコットの『ヒューマニズムの建築』の翻訳を開始したときに、この書の現代的意味は何?と問われそれは「人間主義」と言ったら皆が笑っていたけれど、そこにはこの南條氏が言うような意味での人間主義の現代的意味が思い浮かんでいた。
さて何はともあれ、森美術館のコルビュジエ展を覗いてみた。ギャラリー大成の全面的な協力があるせいでコルの絵画作品が多く会場を埋めている。絵画の変遷が正確に建築の変化と連動しているのはあまり気が付かなかった。当たり前のことだろうが面白い。ユニテダビタシオンの実物大モックアップがありこのスペースを体感した。スケールが小さくも無く大きすぎることも無く見事である。天井高2260という寸法が日本人には適当に思われた。アトリエの実物大モックアップもある。ここでひたすら午前中「下手な」(と言われる)絵を書き続けたコルビュジエの精神力はちょっとすごい。
コルビュジエの展覧会なるものは様々見てきた、個人のもの以外でもモダニズムという括りだったり、この時代のアートの一端という形だったり、様々な形で登場するのがコルビュジエである。その意味では今回の展覧会は上記のいくつかの点を除いて僕にとってはさほど目新しいものは無かった。
こんなことを展覧会の感想として書いても無意味であることを承知の上であえて言えば、コルビュジエの現代的価値があるとするとそれはまさにその場での建築との対話の中にありそうである。そんなことは建築なら何だってそうなのだが、特にコルビュジエの現代的価値を考えるなら、そうだろうと強く感じている。つまりチャンデイガールを美術館の模型で見ても何も分からない。あのインド強烈な太陽の下でそして逞しいインド人が往来するなかで感じること。そしてその中であの色と荒れた肌を感じることの中でチャンデイガールは理解できる。きっとカップマルタンもそうなのだと思う。横長連続窓という原則を作ったコルが最後に作った建物には外を見る窓は80センチ角くらいの小さなものが二つしかない。海を前にしたとても景色のいいところなのに。でもそれはそこに行ってみないと分からないことなのである。

2007年05月12日

山田ちさと

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アリカ・アート・サイトでhttp://www.arika.net/で山田ちさとさんの展覧会が行なわれている。彼女は私と同年代(一つ下)の美術家である。会場で説明を聞く。「画布の両面から色つけてるのよね」と言う。おおそれはこの間青森で見聞きした棟方志功と同じである。しかし棟方は基本的に淡い色を付けたかったからであり、そこにコンセプチャルな意図はない。山田の場合は裏からつけた色はこの絵の最初の「図」なのである。その図を今度は表側から見る。薄い図の周りに余白が広がる。それは「地」である。この地をまた丁寧に表から色づけするそうである。そうするとこの地が図になる場合もあるし、あくまで地として残る場合もあるのかもしれない。それは最初につけた色の塊の纏まり感によるだろう。ゲシュタルトの法則に従うはずである。そしてやや図と地があいまいになったところで再度色付けしながらその関係をあいまいにしていくようだ。しかしオブジェクトとして対象を意識化するのがアートの基本だとすればこうした非オブジェクトの部分を意識化しようとする試みは面白い。建築に応用的に考えれば、建築とは常にオブジェクトでありこのオブジェクトをどう消しながらしかし見せるかというのが昨今の建築デザインの常識となっている。非オブジェクトとしての環境をどう作るかというのが重要と考える人も多い。そのあいまいなバランスが建築であり、その意味でこの絵から得るものは多いかもしれない。

2007年05月05日

タウト

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行こう行こうと思って行けなかったタウト展をワタリウムにやっと見に行けた。

帰宅後本棚を眺めていたらタウトの日本での最初の著書『ニッポン』が見つかった。明治書房から出版された昭和17年版である。価格は3円である。その序は岸田日出刀が書いている。
「ブルーノ・タウトはどういう人か。一言で言へば、ドイツの世界的建築家である。」で始まり、コルビュジエほどではないが世界的建築家として褒め称えるのである。
タウトと言えば桂を賞賛し、東照宮を批判したことで有名でありそれまでの日本人の美意識を変えたと言われてきたものだが、井上章一の『作られた桂離宮神話』を読むと必ずしもそうした定説は正しくないことが良く分かる。例えばこの『ニッポン』の序文を書いた岸田は、自らはモダニストではないが、東大教授として当時日本でも勃興するモダニズムに対して寛容な視点を持っていたようである。それが証拠に日本の伝統建築を集めその簡潔な美がモダニズムに通ずるという内容の著書『過去の構成』なる本を著した。タウトが来日する4年前のことであり、そこで岸田は桂を褒め称えていたのだが、結果としてタウトにお株を奪われた形になった。しかし表現主義者であったタウトが日本のモダニズムのような桂を褒め称えたのは何故なのだろうか?井上の言うように「日本インターナショナル建築会」の謀略であったとしてもそれだけではないだろう。スタイルは捨象されて日本文化として大きなくくりとして認められたということだろうか?

タウトの建築それ自体は今から見ると歴史的産物の域を出ない。現代的なアクチュアリティを感ずるものは少ない。が、展覧会で見た色ガラスのレゴのような玩具は目を見張った。タウトは色とガラスにそのオリジナリティを感じるし、その建築がもっと展開できていたらなあと感ずるのである。その意味ではこの玩具が最も彼のコンセプトが鮮明に現れていると感じられた。