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2007年04月29日

モネ100連発

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連休の始まりだし、天気もいいし、こんな日に美術館に行くと混んでいるのであろうと思いつつも100近いモネを一度に見られるチャンスはそうないだろうと思い乃木坂に向かう。案の定乃木坂はお祭りのようである。外苑西通りは左にミッドタウン右に美術館で人がごった返している。
いろいろ見たいものがあるにもかかわらず敢えてラッシュのモネを見ようと思ったのは既述のとおり100近いモネヒストリーを追いかけられるということもあるが、前々回の「建築の規則」の講義でモネのオールオーバーについて語ったその自分の言葉と本物の整合性を確認したかったからでもある。更に加えて執筆中の原稿でコルビュジエの色について書いており、色の持つ意味をモネを見ながら考えたかったからでもある。
果たして美術館は20分待ちであり、この間のダ・ヴィンチ並みである。入場して最初に飛び込む絵はあの有名な「日傘の女性」である。この絵のポイントは絵の中心にある日傘を持った女性が背景に溶け込んで背景と同化していくように見えてくるところである。本来図である対象化された女性が光の中で背景化していくところである。こうした現象はモネの絵に押しなべて指摘できることなのだが、これだけ明確に一つのオブジェ(対象)が背景化されるのは今日見たモネの中ではこの「日傘の女性」が一番である。
さてこの日傘の女性が示す通り、モネは対象の一般的様相を描いていたのではない。対象のある特定の場所と時間における現象を描いていた。よく言われる言い方をするならモネは光を描いていた、光を描くと言うことは瞬間を切り取るということに他ならない。そしてそれはモネ自身が嘆くとおり困難を極める。それゆえモネは一瞬を目に焼きつけその印象を記憶して描いていた。ルノワールをして目の画家と言わしめたゆえんである。そしてその一瞬に無限の色が散乱し、結果的にはその色を表現したのである。
モネの絵が示すまでも無く建築も睡蓮同様に瞬間に現象するわけである。そしてそれは散乱する色の塊である。ルーアンの聖堂もヴェネチアのパラッツォも色として目に飛び込んでくることをモネは示してくれた。逆に言うと建築に付着している色というのは実に不確定的な要素に過ぎないということも示している。色が瞬間に現象する以上、設計する色と受容される色には埋めがたい溝があるということだ。その差にはある種の関数があるとしてもやはり同一ではなくそれは一つの開放系の上にあるということになろう。
モネから少し話しはずれるのだが、色とともに建築における質料である肌理という属性も実は色と類似の性質を持っている。その視覚的効果は光に大きく作用される。光の強さや当たる角度によって肌理は無限のヴァリエーションを持って現象するであろう。その意味で色も肌理も同質でありそれは設計者がその属性を特定できない。設計者がある色や肌理を選んだからといって、それは設計者が意図するように見えるとは限らないのである。もはやそれは偶然にゆだねられるものでしかないという意味で開放系なのである。
モネを見ながらつくづく思う。設計者が色や肌理の種類をやたらに神経質に細かく決めることに余り意味は無いのではないか?意味があるとすれがそれは色や肌理があるということぐらいではないか?すなわちある開放系の中に建築があるということぐらいではないか?こう言うとやや空しいが、逆に言えば建築を開放系の中におく上で色や肌理が有効であろうことが理解できるのである。

2007年04月14日

藤森建築

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藤森照信の展覧会がオペラシティのアートギャラリーで始まった。散歩がてら覗く。最初の部屋の最初の展示物は1メートル角ぐらいの大きな板に塗りこまれた様々な仕上げ材料である。その材料の横に最初のコメントがある。彼にとって建築の一番大切なものは、構造でも設備でもなく、また壁でも柱でもなく、「しあげ」なのだと書いてある。うーん、そうか。言われてみれば確かに藤森建築において仕上げ材料の重要性は言うまでもないが、彼の言いたいことはそんなことではなくむしろ、反モダニズムとしての民族学的というか世界建築的というか、ローカリズム的というかとにかくとうしたものの集大成としての思想や形だと思っていた。それがいきなりきたね、「仕上げ」。質料研究家坂牛としては仕方ない藤森を質料建築家の中に数えておかなければならない。しかしここまでべたにくるとこれは志村けんの漫才のようなものだ。しかしやるなら徹底してやる方がいい。ディテールも重厚に。防水層の上に空気層があったり断熱材があったり、その上に仕上げ用の下地があってさて強烈な仕上げがのっかる。この仕上げはかなりの抵抗力を自然に対して持つであろう。石や金属や植物は逞しいかもしれない。
ところでコルビュジエの現代的意義という原稿を書なければという強迫観念にかられて展覧会を見ているといろいろなものがコルビュジエ的に見えてくる。「タンポポハウス」や「ニラハウス」は「屋上庭園」。「高過庵」は「ピロティ」である。コルビュジエの5か条の近代建築原則のうち2か条が藤森の中に見て取れる(?)とは、藤森が立派なモダニストなのかコルビュジエが立派なアンチモダニストなのか???答えはどちらかと言うと後者。コルはやはり一枚岩ではないのである。だからこそ未だに使用価値が残っているのではなかろうか。

2007年04月10日

儀礼は国を支えるか?

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今村仁司と今村真介による『儀礼のオントロギー』を読む。
近代の政治学や経済学が国家現象を解くのに省みなかった儀礼という行為に光をあてた。著者曰く「この本の狙いは「儀礼的実践」の観点から国家の存続メカニズムに光をあてる試み」である。とのことである。これまでの国家論というのは「社会契約論的な主権論」や「経済的・政治的階級構成論」で説明しようとしていた。つまりロックやルソーやマルクスのことだろう。しかしそれらだけでは社会の複雑な現象は説明しきれないでしょうというのが今村らの主張である。そこで登場するのが儀礼であり、古代から社会システムがそれぞれどんな儀礼で維持されていたかをこと細かに説明してくれる。狩猟採集時代、首長に率いられる部族社会、王や皇帝の時代、そして近代。各時代にそれぞれ儀礼はあった。そもそも儀礼というのは社会習慣の形式である。そう考えると習慣の無い社会はあり得ず、それゆえ儀礼は不滅であった。著者の卓抜な視点は近代的思考の篩いから抜け落ちてしまったこのような「儀礼」を再考したことにあるだけではなく、それが国家を支える重要なファクタであることを喝破している点にある。
そう書くと「どこにそんな証拠があるのか?」と反論が来そうである。そして証拠はちょっと見当たらない。あくまで印象である。あるいは経験である。
話はちょっと飛ぶのだが、人は必ずや社会の集団の一員である。それは家族かもしれないし、学校かもしれない、歳の如何にかかわらずどこかに何らかの形で所属しているものである。そしてその集団での何がしかの役割を持っているものである。自分の経験で言えば若いころは学校クラブ、大学を出れば、会社、そして自分の事務所を持ちそして今では大学の教員の一員でもある。その中で自分はどのようにその集団の一員をやっているのかを考えてみると、その昔の若かりし頃はなにか力任せにその集団をねじ伏せようとしていた。特にクラブの主将などをしているとそうであった。そこではねじ伏せるための言葉遣いや行動パターンがあったように思う。そして歳をとるとそういう生き方があほくさくなるしうまくいくとは思えなくなる(未だにそういう生き方をしている人を見るとやれやれと思うのだが)。そうなると逆に力関係のヒエラルキーを極力無くしながら集団をリードするとはどのようなことかと言うことを良く考える。そこにはいくつかのテクニックがいることに気付く。そしてそれは今村が述べる権力のヒエラルキーが生まれる前の社会(狩猟採集時代など)に見られた儀礼に良く似たものであることに気付くのである。
そう、自分の行動が儀礼に支えられている部分があるというのが上述の証拠と言えば唯一の証拠である。しかし昨今は考現学や民俗学など日常の習慣を徹底的にフィールド調査した学者たちの膨大な知見が見直されている。もちろん儀礼が見直されているのと同じような風潮の中にあろうかと思うのだが。そうした学問分野で得られた膨大な日常の行為の集積が日常を超えて国を支える文化基盤を作っていると考えるのは極めて自然の成り行きであろうとも思えるのだがいかがだろうか?