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aomori

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地方都市の中心市街地の空洞化は長野でいろいろと問題となっている。この間の塩尻のコンペも市街地空洞化を防止する起爆剤としての市民交流施設を作ろうとするものだった。しかし青森にくると長野などかわいいものだと感じる。青森はひどい。県庁所在地でここまでなるかという気がする。40年以上前小学生のころ毎年夏には来ていた場所である。そのころ駅前はもっと活性化していたように記憶する。40年でこうなったかという感じだ(と言っても実証しているのではなく記憶の中の甚だ印象的な比較でしかないのだが)。
さて以前パリのレンガの本を買ってレンガの目地の話をした。目地とはパターンでありそれは装飾だと書いたが、レンガを使って目地を消している青森の美術館にその時突如興味が湧いた。そこで青森美術館の作品集を買った。その作品集では建物の写真として空間ではなくむしろ部分的、素材を見せるようなものが意図的に使われている。それは設計者の意図でもある。質料が浮き上がるような作り方を狙っている。きっと本物もそうなのだろうと想像した。つまり部分がふーッと眼に飛び込んでくるような建物なのだろうと思ったのである。それはそんな難しいことではなく、部分部分の素材感とかディテールとかのほうが全体の構成よりも強く浮き出るようにバランスさせられているということである。
しかし本物はそうでもない。もちろん部分というのが意識させられる瞬間はある。しかしそれ以上に構成が強く見えてくる。パースラインがとても強く感じられる。それは質料を見せるために使われた剥き出しの土が土を意識させる前に白い壁との対比となって見えてくるからなのである。
もちろんだからと言ってこの建物の評価が下がるわけでもない。意図したことが変容した結果となったということである。それはメディアテークと同じようなことかもしれない。

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