ルネ・ブリのバラガン
luis barragan rene burri
「世界遺産」にバラガン邸が放映された日にルネ・ブリの小さな写真集「luis barragan」phaidon 2000が届いた。
1985年の夏休み、僕らuclaのチャールズ・ムーア、リカルド・リゴレッタスタジオはメキシコに1週間の建築旅行に出かけた。ニューヨークまで飛行機で飛びそこからメキシコに入った。最初の目的地はオハカである。アステカの遺跡が残る古い町。強烈な太陽のもと遺跡を巡り歩き3時くらいにはみな暑さにたまりかね宿に戻る。同級生のヨーロッパの白人の数名は日射病やら火傷のような日焼けに苦しんでいた。黄色人種は比較的耐えられる。4時ころには宿の前の町のプラザ周りにあるカフェのようなバーのような木陰でムーアーとリゴレッタを囲みテキーラーベースの冷たいカクテルを水のように飲む。やっと食事をしようという7時ころにはもう皆結構へべれけだが巨漢のムーアとリゴレッタはさあこれからである。
数日オハカで過ごしメキシコシテイに移動。そしてバラガンである。シティは実に東京のようにカオスである。数日しかいないのでえらそうなことはいえないが、町の骨格が感じられない。リンチ的に言えばイメージャビリティが低い。ほこりっぽい。そのカオスの中にテレビでも言っていたようにバラガンの静寂は突如訪れる。まさにその部分だけ神が降りてきたような別世界である。
バラガンのピンク・赤・黄色・青は地元の人に言わせればメキシコの色だそうだ。確かにあの彩度の高い色はオハカにも多く見られた。シティにもある。だからバラガン(リゴレッタもそうだけど)の空間は日本で考えるほど「色」に規定されているわけではない。静寂と空と色と空間の不思議な融合の中にバラガンはいた。ルネ・ブリの色あせた写真はそんなシティのバラガンをとても正確に伝えている。テレビを見終わった後この写真集をみたら突如20年前のシティが蘇ったのがその証拠である。