cosmosとしての秩序
orederという言葉を岩波の哲学事典でひくと順序という訳がでている。数学の<構造>概念を構成する重要概念の一つ。と記されてる。一方佐々木健一の美学辞典ではorederには秩序の訳語があてられ美の重要な要素となる。しかし一方で秩序という言葉は混沌の反対語でもある。混沌とは荘子の寓話ではノッペラボーの姿をした中央の帝であり、この帝は空間と時間を象徴する南北の帝によって目鼻口を穿たれたところ、死んでしまうのである。つまり、原初の無秩序(カオス)状態に秩序が働きかけて無秩序が消え秩序が残るという寓話なのである。そこでは秩序はcosmosである。
秩序という訳語はどうも2つの言葉、orderとcosmosに割り当てられている。そしてorederの方がどちらかというと配列や順序をしめす具体性を持っている。一方cosomosは人間環境秩序としての宇宙を示すものである。それゆえ建築の秩序は普通orderのことになる。またこのorderはアリストテレスのtaxisに由来すると言われている。アリストテレスは美の根源を秩序(taxis)、均斉、限定(大きさの)としたのである。
さてではこのcosmosの方の秩序は建築には馴染みの無い言葉なのであろうか?鶴岡真弓の装飾論を読むと、人間は星座に美を見出し、そこに人間が宇宙との関係性を感じ取ったのであり、その関係性の認識が装飾の起源であると記していた(ように思う)。最近僕はこの人間と宇宙の関係性の発露ということに興味がある。装飾の起源がそこにあると言われ、ヴォリンガーの『抽象と感情移入』によって理論付けられた装飾における抽象衝動の根っこはどうもこのcosmosにあるのである。
フォーティーによればモダニズムはorderをそれまでとは違う形で重視したのだが21世紀に重視すべき秩序はorederではなくこのcosmosのほうなのではないだろうか。