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建築はインタラクティブになれるか?

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昨日リーテム東京工場でリーテムのプロモーションビデオを見せてもらった。音と映像のコンビネーションはとても心地良いものだった。制作はsetenv音楽は徳井直生さんである。徳井さんは前にもリーテムの工場の音をサンプリングして作曲してもらったことがある。東大で電子工学を専攻されながら音を中心に、人間とコンピューターの新しいインタラクションの形を模索されていると聞く。

Inter communicationの47号がcodeの特集で徳井さんの「ソフトウェアはアートになりうるか」という論考が載っている。因みに巻頭は山形浩生氏の「アルゴリズムとしてのアート」である。徳井さんの論考はソフトウェアのプログラム自体の美しさ(それって、数学的美しさのことなんでしょうねきっと)のことやらアーティストによるプログラミング可能性、生成性の探求に言及されていた。
音楽やアートのある部分でこのインンタラクティビティへの可能性が追求されているのだが果たして建築にそうした軽やかなスタンスは可能なのだろうか?
昨日リーテムの見学を終えてパーティーの後2次会でとある先輩が、こう言った。「坂牛の建築はやっぱり「モノ」だよなあ。近田さんの照明ももろに「モノ」だ。でも僕は「コト」の建築ができないかと思うんだよなあ、、、、、」でも学生には「先生建築はなんやかんや言ってやっぱり「モノ」でしょうといわれるんだよ、、、、、」と酔っ払って堂々巡りしている。でもこの先輩の言うことは痛いほどよく分かる。僕はやはり建築のライブ性のようなもの、ステージ性のようなものをおぼろげにいつも思っているわけで「坂牛の建築は「モノ」だと言われると少し反論したくなる。もちろん刀根さんの作品のようなインタラクテイビティを建築で作ろうなんて思ってはいない。しかし、違うレベルでは建築の軽やかさ(非固定性)が作れるとは考えているのだが。

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