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岡本太郎美術館

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Skeleton,2003 photo: Keizo Kioku

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My Grandmothers “Sachiko” 2000 86.7x120cm © Miwa Yanagi Courtesy Yoshiko Isshiki Office

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My Grandmothers “Sachiko” 2000 86.7x120cm © Miwa Yanagi Courtesy Yoshiko Isshiki Office
無題I 2004 100x140cm © Miwa Yanagi Courtesy Yoshiko Isshiki Office

牛に引かれて善光寺ではないが、誰かに誘われないと行かないような美術館がある。千葉県立とか川村とか。岡本太郎もその一つ。
向丘遊園からバスに揺られて10分、専修大学で降りてさらに10分。しかしよく見るとここは日本民家園の隣、幼少の頃学校の遠足できているはず。

昨日、ニューヨークのジャパンソサイエティの友人から電話があり「表参道ヒルズ行かない?」と言う。うーん興味ない。と言っていたらもう少しして電話が来て「岡本太郎美術館行かない?」と言う。ネットで見ると「ヨーロッパ巡回帰国展 CHIKAKU ―四次元との対話―」
~岡本太郎からはじまる日本の現代美術~展をやっている。出品は岡本太郎・中平卓馬・森山大道・中村哲也・笠原恵実子・須田悦弘・杉本博司・日高理恵子・渡辺誠・森脇裕之・小谷元彦・伊藤高志・やなぎみわ・草間弥生・トリンミンハ。巨匠だけならいまさらという感じもするが若手の面白いのも多いので行くことにする。

彼女のお勧めは小谷元彦という彫刻家。ここにはskeltonという鍾乳石のような彫刻がぶら下がっている。屈託無く割と形をストレートに出すのだなあと感心する。それは若さにも関係するのだろうか?椹木野衣は世代論的にこう言う「小谷は、村上がこんにちの状況を、すべてのジャンルが横並びで交換可能となったという意味で「スーパーフラット」と名づけた、そのことばすら必要としないくらい、あらかじめ「スーパーフラット」に生まれついた、おそらくは最初の美術家なのだ」なるほど、フィギュアを作ってポップとシリアスの境界を意識的にフラットにする世代に対して、彼は最初からそんな境界はなく屈託無く自らの好む形に素直に接近できているのではなかろうか?

やなぎみわ もよかった。もう十分世界的な方のようだが、僕は本物を見るのは初めて。93年から制作しているエレベーターガールズで有名になったようである。友人に言わせるとそれはあまり面白くなかったが、今回の作品は面白いという。上記無題の写真とビデオ作品が展示されていた。ビデオは砂漠の向こうから顔を隠した老人とも少女ともつかぬ人が少女の服を着て歩いてくる。どんどんこちらに近づきいきなり隠していた顔を見せるかなと思う寸前で終わる。また老婆にメークアップした二人の少女が遊んでいて最後に走り去る。なんとも不気味でこっけいである。
さてこういう作品あるいは現代アートの特にメディアものはテレビ企画と紙一重だと僕が言うと友人はしかし最後の一線でアートにするのがアーティストと言う。僕もそうは思う。杉本博司の写真のところで彼女は言う。「杉本さんなんかはその意味でテレビ企画ではない昔風の本当のこだわりのアーティストよね。例えば印画紙とかにもすごいこだわりがあるのよ。彼の満足いく印画紙作っているところは世界に一社しかないのだから。それでそこの印画紙これから数年分全部買ったって言っていたわよ」と言う。六本木で見たときもまあ凄いとは思ったが、そういうことを聞くと、かなり信頼してしまう。

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コメント

いつの間にかコラムが沢山!びっくりしました。。
個人的には岡本太郎がメキシコで制作し、行方不明になっていた「明日の神話」という巨大壁画が発見され、日本に来るそうですが、それが今は気になります。

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