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バウハウスの質料論

ナギー蜂の巣ー表面構造小.jpg
構造 スズメバチの単房構造

ナギー老人の顔ー表面肌理小.jpg
肌理 アメリカミネソタ州の130歳の男

ナギーレコードの溝ー表面処理小.jpg
表面処理 レコード上のカルーソの高いド音 顕微鏡写真

ナギー油と水ー表面堆積小.jpg
堆積 水面の石油だまり

拙訳『言葉と建築』の空間の章を読むと「空間」なる言葉を建築の世界で意識的に使った最初はゼンパーだということになっている。だからそれはラウム(raum)だった。
彼は「建築にとっての最初の衝動は空間を囲むことにあると提案した」(『様式』、1863)そしてこの囲む空間論はオーストリアのロース、そしてアメリカに渡るシンドラーに受け継がれ、まだ「空間」という概念が無かったものの実質的に世界で最初に「空間」を作ったといわれるアメリカのライトのもとにいき、スペース(space)を感じ取った。
英語圏では『インターナショナルスタイル』1933においてさえ「空間」という言葉は登場しない。そこではご存知の通りvolumeという言葉が使われており、最初に英語圏で「空間」と言う言葉がモダニズムの重要な要素として登場するのは『空間・時間・建築』と言われている。1941年のことである。
さてその後ブルーノ・ゼヴィの『空間としての建築』など建築=空間という図式はポストモダニズムで顕在化するまで水面下で語られ続けた現象学的な空間論を尻目に圧倒的に支配的な概念であったといって間違いないだろう。

こうした空間主導の建築観への批判は特に80年代以降顕在化するが、私もその例外ではなかった。建築の質料感の訴求力を問題として、この空間・形式一辺倒の建築観への警鐘をこめて「質料再考」を数年前の某大美学科での講義テーマとした。しかし質料はモダニズム期に排除されたわけでもない、こうした人間のアンビバレンツな欲求は無くなることはなく、思考の傍流であろうと存在はしているものなのである。ミースの素材感とかコルの色彩感などは分かりやすい例だし、建築以外にも見受けられる。しかし彼らはあえてそれらを積極的にプロパガンダしてはいない。そこでもっと積極的にそうしたことを主張する人がいないかと思って注意していたら一人発見した。
モホリーナギである。「エッ」と驚く方もいるだろう。普通は逆にとられているもののようだ。『言葉と建築』ではナギの『ザ・ニュー・ヴィジョン』1928がその頃最も興味深い空間論と賞賛されている。フォーティも間違いなくナギを空間称揚論者と考えている。しかしナギが翌年出版している『材料から建築へ』バウハウス叢書14を読むと材料という章があり材料の表面論を延々写真入で解説しているのである。まるで僕の講義の「のっつる、のっざら、でこざら」のごとく、材料の表面の視覚作用に影響を及ぼす因子を分解して説明しているのである。

構造(ストラクチャー):材料の組み立て方。例えば金属は結晶性の構造を持つ
肌理(テクスチャー) :外へ向かって有機的に生じた全ての構造の末端面を肌理と呼ぶ
表面処理(ファクチャー) :外部から変更できる材料の表面
堆積(粗積み):合算される表面処理

という風に4つの因子をあげているのである。受容的に考えればこれは一言で肌理でよいのだと思うが、丁寧である。更に次の章には光という項目があり色が語られている。

バウハウス叢書。ちょっと高いが買っておいて良かった。

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