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子供力

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六本木ヒルズの展望台のカフェはお勧めである。土曜の12時半なのに200㎡くらいの窓際の細長いスペースにお客さんは6人しかいない。ぼくの座っているテーブル幅4メートルくらいのところには僕しかいない。そこで今日買ったカタログやら本やら広げてパソコンを開いてランチセットのサンドイッチを食べる。前方には幅20メートル180度の視界が広がる。左端に防衛庁と赤坂離宮、よく見れば僕のマンションもあるはず。正面に国会と皇居、やや右に先ほど行った汐留、右端は東京湾である。このワイドビューを独り占めしている快感。1時間半が経過今二時。人は減り、ついに僕一人の個室となった。キーをたたく音が部屋に響く。まるでテレビドラマの一場面のようである。
午前中、汐留の松下電工ギャラリーでやっていたアスプルンド展を見てきた。「森の礼拝堂」の屋根の巨大さが目を惹く。三角形の屋根の高さは屋根下の壁の高さの2倍ある。このプロポーション。このきのこのようなプロポーション。どこかで見たことがある。そう「ガエハウス」である。一昨年、『10+1』にガエハウスのプロポーションはきのこだと書いたが、アスプルンドはその元祖だったのである。そう言えば去年塚本と飲んだとき「アスプルンドいいよねえ」と言っていたのを思い出した。
汐留から六本木は地下鉄大江戸線で5分。ついでなので森美術館の東京/ベルリンーベルリン東京展を覗く。これは19世紀後半から現在までの日本ドイツ交流史展覧会である。内容が多過ぎて消化不良を起こしそうになるのだが、幸い最近ドイツ近世史について書かれた新書本を5~6冊読んでいたので、なんとなく登場人物が馴染み深い。と言っても、別段特に興味のある人間が沢山いるわけでもなく漫然と眺めていた。唯一興味深かったのは「60年代の前衛芸術、フルクサス、ポップ、新表現主義」というセクションに登場する、中西夏之である。名前は聞いたことはあっても別に気にも留めていなかったのだが、今日は目にとまった。白いキャンバス5枚に釘を打って、そこに千個くらいの金属の洗濯バサミをランダムにつけた「洗濯バサミは攪拌行動を主張する」と題した作品。これがなんだかとても良い。この良さはなんだろうと考えていたら思いついたのが娘の小学校の文化祭で飾られていた小学生の図工の作品である。その共通点は①技術的な稚拙(原初)さ、②主張の非判明性(要は何言おうとしているのか良く分からないけれど熱意だけ伝わるみたいな感じ)、③材料の素朴さ。などである。まあ一言で言うと、「子供力」。小学生のお絵かきとかにたまに強烈な訴求力を感じるときがあるでしょ?あれ。
ところでこの「子供力」先ほど見てきたアスプルンドにも強く感じたのであった。(無理やり繋げているようにも聞こえそうだし、もしかしたら無意識にそうしているのかもしれないが)。アスプルンドにもなんともいえない稚拙で非判明的「子供力」が漂っているのである。
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コメント

 はじめまして。
突然失礼します。
たまたま拝見し、たまたま知っている建築物について書かれていたので、コメントしたくなりました。
 先日、「世界遺産」という番組で、アスプルンドの生涯手がけた墓、「スコールシュスルコゴーデン」についてやっていたのをたまたま見かけました。森の礼拝堂についてではないのですが、私が感じたことについて、ひとつ。
 私の住んでいた実家のある場所は、代々、山の奥にお墓を並べる土地を持っている家が多く、私の両親の実家は両方ともそれに当てはまります。毎年、お盆、お彼岸などは、親戚総出でお墓参りをするのです。今もそれは変わりません。
 「世界遺産」を観て、同じ森の中の墓地のはずであるのに、実家にある墓地とアスプルンドの手がけたそれとは、全く違うと思いました。規模はもちろんだと思いますが、ある一種の、空間的な変な寂しさがないと思ったのです。スコールシュスルコゴーデンを観た時、宮崎駿の「風の谷のナウシカ」の腐海の森の下にある、再生されつつある森と重なりました。森の墓場です。宮崎駿がスウェーデンのそれを知っていて書いたのかはわからないですが、その「風の谷のナウシカ」の中の再生とそれとが重なったのは以外だと思いました。宮崎駿が手がけるアニメには、何の根拠もなく突然出てくるものは何ひとつとないことは有名で、もしかして。。。と思ったのです。
 誰でも、愛する死者には再生を願うものです。しかし、日本の墓地には、あまり、再生を連想させるものはないと私は思っています。死んでしまえばおしまいである、悲しい、という考え方の方が強いと思うのです。しかし、スウェーデンの「森の墓地」には再生の雰囲気が漂っていると、感じました。それゆえに、寂しさがないのでしょうか。空間の力はすごいと思いました。

子供力とはかけ離れたコメントですみません。
失礼します。

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