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前川國男の垂直性

東京駅に到着。やっと長野の仕事も今年は終わり。丸善を覗いて帰宅しようと思ったが前川國男展をステーションギャラリーでやっているというので行ってみる。

先ずPRしておくとこの展覧会、かなり力がはいっている。驚きである。その質・量ともに吉村展を凌駕しているかもしれない。多くの大学が協力して、美しい模型を多数作っているのもその質を高めるのに一役かっている。更に、カタログが美しい。原図の写真から建築写真から撮りおろしが多いのだろうか?とてもシャープできれいである。

さてクロノロジカルに見せる前川の最初に出てくるのはコルビュジェであるが、コルの作品も原図とともに展示。話は前川からそれるがちょっと発見したのは、ドミノが1914~1918という年代に考え出されていたという事実。つまり一次大戦とぴったりと年号が合っているのであり、それはドイツ軍に侵攻されて荒廃したフランドル地方に対し、6本の柱と3枚のスラブで作るユニットとして復興のために編み出された技だったということ。もちろん知る人は知る事実なのだろうが、こちらは、5つの教条のバックボーンとして理念的に考案されたモデルだとばかり思っていたのであり、実はもっとプラグマティックなものだったということに驚いた。でも新鮮である。やはり建築は社会が作るのだろうか?

さてそんなコルの教えの影響が展覧会では追跡されるのだが、これは前川研究者でもなんでもない一建築家の直感の域を出ないのだが、コルの影響というのなら、先日見た吉村展との比較で目に付いたことがある。それは吉村が水平的な空間であるのに対して、前川は垂直的であるということ。もちろん建築家の原風景みたいなものから、水平好みと垂直好みに大別するのはやや乱暴だし、プロジェクトごとにそれぞれ違うのだけれど、どうもこの当時の建築家はそうした分類にはまる人が多いようにも思う。

そしてそれは、多くのプロジェクトの中に散見されるのだが、最も色濃く対照的に現われるのはそれぞれ自邸においてである。吉村の自邸「南台の家」は広い庭に面して庭を愛でる水平的な視線の流れを獲得する建築が作られている。一方前川の自邸は民家調の五寸勾配の大屋根の下に二層吹き抜けの居間が作られている。その断面プロポーションは正方形に近く、垂直的な空間性を持ち合わせている。

この正方形的断面プロポーションはコルのジャンヌレ邸の居間のプロポーションを彷彿とさせるのだが、これは初期の代表作木村産業研究所のエントランスポーチにも見られる。(因みにこの吹き抜けの天井が真っ赤にぬられているのも目を引く)

さてこの垂直性、あるいは地面から上に向かう指向というのはピロティを生み出したコルの想像力の賜物であり、前川の原風景でもあったのだと感じる。初期のいくつかの公共建築は皆四角い柱の上にのっかており足元が抜けている。例えば文化会館もあの象徴的なコンクリートの屋根が空中に浮き上がっているのである。そしてその結果として柱が露になる。その昔誰の設計か知らずに訪れた世田谷区民会館でなんともごっつい列柱だと思ったのだが、今日これが前川の作品であることを知り、そして柱は結果であり、浮いた建物が欲しかったのだろうと思うのである。そしてその結果として露になる柱を人は骨太だと感じるのではなかろうか。

いまでこそもっと軽やかな浮遊する建築は多々あるのだが、当時の技術を持ってして、これでもかなりの地面からの離脱感であり垂直性であったのであろうと想像するのだがいかがであろうか?

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