捻れ
現在工事中の建物がある。これはコの字型をしたコートハウスのようである。ようであると言うのは、ちょっと違うからである。コの字型コートハウスは当然内側の中庭に向かってオープンで外側に向かって閉じているのだが、ここでは内側にも、外側にも同程度に開こうという開口計画をしている。だから、コートハウスではなく、のようなものなのである。つまりここでは、カタチが本来的に持っている属性を少し捻じ曲げて、本来的でない姿にしている。形式と内容の幸福な整合性を少し脱臼させて、捻れを意図的に作っている。
これは一体どういう行為だろうか?建築の形式を敢えて新たに創ろうとしないで、認定済みの形式をリフォームしようということである。形式の可能性を探るという言い方もできる。形式の使い方を反転させることで形式の隠れた属性を引っ張り出すということだろうし、また形式が求める方向を180度ひっくり返すことで、無理を生じさせているという言い方もできる。その無理、矛盾の中に、使用の自覚が生まれるといういこともある。
最近こうしたある矛盾の概念が建築に力を付けないかとふと思う。先日の講義での宿題、「秩序ある複雑さ、無秩序な簡潔性」なんていうのもそうである。ヴァイオリンの奏法に弓の毛の方ではなく、木の方で擦るというのがある。これは実に奇妙な音がする。本来音を出す部分ではないもので音を出そうとしているのだから、奏法自体に矛盾があるのだが、それによって、おなかの底から湧き出るような唸りのような音が出てくるのである。こんな表現の強度を建築でできないかというのが上記試みである。