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物品の詩学

toto通信2005秋号「藤森照信・原・現代住宅再見/坂本一成、house sa

今日届いたtoto通信に坂本一成のhouse saが載っていた。藤森照信の原・現代住宅再見のコーナーに取り上げられていた。そして坂本のテーマである「日常の詩学」を文字って「物品の詩学」という標題が冠されている。確かにモノをしこたま置いてそれを積極的に見せる住宅はこのhouse sa の前にはあまり無かった。坂本は住宅の中に現われるいろいろなモノを許容する場所を作ったのである。その証拠にこの建物は竣工時に住宅特集に掲載された後、家具が入り、いろいろなモノがはいってきてまた新建築に掲載された。もちろん「名建築の現在」というような覗き的好奇心に基づく特集はある。しかし設計者が意図的にその姿を提示するという見せ方は無かったのである。
その坂本の意図を藤森はうまく汲んだ。いやそんな意図などの介在とは無関係にそのモノたちの訴求力が藤森をして素直にこの言葉「物品の詩学」を言わしめたのかもしれない。
最近方々で書いてもいるし、大学の講義にも使わせてもらっているハイデッガーの言葉、「空間は『空間』よりも空間を占めているもの〔locale〕からその本質的な存在を受け取る」の意味は正にこんな坂本の作品が示すことなのであろう。空間を占めるこれらの物品の力の凄さ。そのけたたましさ。そしてそこにある空間の固有性と具体性の訴求力に藤森さんも恐れおののいたのではないだろうか?

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