10+1アンケート2011を振り返る

知識人をとりまく深い溝
3.11はわれわれ建築を糧とするものの非力を強く感じさせるものであった。そしてそんな感覚は建築以外の、都市計画、土木、そしてもちろん原子力などの分野でも同様である。加えて社会学、政治、経済の分野も含めて今後の復興については検討課題が山積みとなった。
そんなすべての分野を見とおしながら総合的な意見を述べる能力は持ち合わせていないのだが、一建築家、一市民としての気持ちを記しておきたい。
僕は3.11が起こった瞬間小諸の商工会議所にいた。当時信州大学に勤めていた私は小諸の仕事のお手伝いをしていた。そして揺れが始まり皆で外に逃げ、揺れがおさまり建物に戻りテレビをつけて驚愕した。
電車は止まり長野への足が断たれた。幸い夕方三セクの電車が動き通常の3倍の時間を費やし、夜やっと長野に着いた。9時頃宿に着き、夜中の2時までずっとテレビを見ていた。5時間テレビを見続けたことなど生まれて初めてである。
地震の影響は東京にもおよび、歩いて帰宅する多くの人の姿が映し出された。歩いて帰れない帰宅難民を大学や高校などが受け入れ、いくつかの商店は時間外でも店を開けて暖かいものを配っていた。
そんな情景をテレビで見ながら、僕はそれまで心の奥になんとなく感じていたこれからの街のあり方に、徐々にある方向性を見る思いがした。それは街の相互扶助の能力についてである。もちろん街の相互扶助能力を云々する前に人々に相互扶助の意志がなければ始まらない。意志があることを前提にそれを受け入れるハードな器が必要なのだろうと感じたのである。世界の暴動ニュースなどでお店がすべてシャッターを閉めてそれを破壊しようと暴れる暴徒が映し出されることがあるが、ここで言うのはその逆である。シャッターをすべて開けて、困っている人がすべて吸い込まれるような街である。
街は建築の集合でもある。街が相互扶助能力を持つとはすなわちそれを構成する単体もそうしたポテンシャルを持つということである。
単体の設計をする時にクライアント一人ひとりにそれを問うことはたいへん難しいことでもある。しかし住宅ひとつから公共建築に至るまでユーザーは街と一体であるということを今後の設計のひとつの狙いとして心に留めておこうと考えている。

さて次に今回の原発の事故についてコメントしてみたい。この事件は地震の2次被害ではあるものの地震と同等のあるいは長期的見ればそれ以上の禍根を残すものと言える。3.11以降本屋には続々とそれらに関する本が並んだ。新刊もあれば復刊もある。面白そうな本を手当たり次第読んでみた。というのも新聞もテレビも電力会社は広告主だろうし、電力会社は自らの状況を都合よく公表したいだろうし、国は国民の不必要な不安を煽りたくない。つまり報道のすべてはそれぞれある種のバイアスがかからざるをえないわけで、われわれはそれらに対して疑心暗鬼になるのは仕方ない。もちろん書店に並んでいる図書でさえそうではない保証は何もない。となればなるべくランダムに情報を取り入れ、われわれがその真偽を判断していくしかない。そこで震災以降なんの脈絡もなく本屋にならぶ下記の本を読んでみた。

『現代思想』「特集=東日本大震災 危機を生きる思想」、後藤新平研究会編著『震災復興──後藤新平の120日』、広瀬隆『東京に原発を』、「科学」編集部編『原発と震災──この国に建てる場所はあるのか』、西部邁+佐伯啓思編『危機の思想』、大朏博善『放射線の話』、河田恵昭『津波災害──減災社会を築く』、矢部史朗『原子力都市』、高木仁三郎『原発事故はなぜくりかえすのか』、有馬哲夫『原発・正力・CIA』、宮台真司×飯田哲也『原発社会からの離脱』

これらを読みながらわかることは、本屋に並ぶさまざまな言説の多くが反原発を起点に書かれているということである。こんな事態に陥って原発をフォローする言説が歓迎されるわけはないのだからあたりまえかもしれない。
しかし一方で新聞等を見る限り政治経済団体にはもろ手を上げて反原発など叫ぶ人はいない。一体この知識人と政財界の深い溝は何なのだろうか? 理想と現実のギャップだと言ってしまえばそれまでだし、どんな問題でもこういうことがあるとも言える。机上の空論を振りまわす学者先生は気楽なものだと言う政治家のせせら笑いが聞こえそうでもある。もちろんそういう側面を否定はしない。しかしそういう架橋構築が困難な深い溝こそが日本の深刻な問題だと感じた。何故かこうした問題が起こると日本では賛成か反対かの二極構造が生まれ、その両極が議論のうえで三極めにたどり着くという理路が消え失せる。もはやそんなものは存在しないということが前提であるかのようである。 どちらにも多少なりともアップサイドとダウンサイドがあるはずで、それらを補うような議論が正直に建設的にされないことには、原発問題に限らず日本のこれからの政治は何処まで行っても闇のなかであると感じるのである。