僕が社会人になったころ吉本ばななの『キッチン』(福武書店、1988)が世に登場し、新しいコトバの到来を感じさせた。加藤典洋は『言語表現法講義』(岩波書店、1996)のなかで、書く主体と文章の1対1対応が崩れた最初の小説であろうと指摘している。その後、世紀を跨ぎ2002年、4月号の『広告批評』は「10代のコトバ」という特集を組み、綿矢りさ、島本理生ら当時高校生だった5人の女性作家にインタヴューをしている。「大人たちが思わず言葉を失うような言葉を書く少女」と形容された綿矢が芥川賞を取るのはそれから2年後の2004年のことである。これら一連のコトバの変化に僕はちょっとした新鮮な驚きを覚えた記憶がある。90年代から2000年代にかけて時代は確実に新しいコトバを追い求めていた。
小説におけるコトバが変化した時期、建築家のコトバがそれと連動するように大きく変化したという記憶はない。しかしこの時期、建築専門誌が廃刊、休刊に追い込まれ建築一般誌が雨後のタケノコの如く発刊され、設計者の立場ではなく使用者の立場から、分かりづらい概念を周到に排除した言説が出回った。設計主体を排除したこうした建築言説はクライアントに染みわたり、そしていつしか建築家に逆輸入されてくる。
感受性の変化
小説や建築の言葉が変化したとき人々の感受性はどのように変容していたのだろうか? ここではそれを厳密に跡付ける十分な紙幅がないので世紀の変わり目の美学的変容を導いた一人であるドイツの哲学者ゲルノート・ベーメの美学を瞥見してみたい。ベーメは本来感性の学である「美学を再び感覚的認識の理論へと回帰させる」ために1995年に『雰囲気の美学』(晃洋書房、2006)、2001年に『感覚学としての美学』(勁草書房、2005)を著わす。そこで彼は美学を芸術批評のためだけではなく美的な自然認識へと拡張し、そうした認識をもたらす要素として〈モノ〉に代わり人を情感づける〈場〉や〈雰囲気〉の重要性を指摘した。
さてこうした〈モノ〉の否定が結実する地点を見据える意味でさらに二つの本を瞥見したい。先ずはベーメも指摘する〈場〉を扱った書として丸田一の『「場所」論』(NTT出版、2008)である。丸田は場所に対する態度を以下4つに分類してみせた。1. 場所主義:住民と場所との紐帯を重視 2. 反場所主義:新しい人工的場所の構築 3. 多元的場所主義:フーコーがヘテロトピアという言葉で表わす多様な世界の混在の容認 4. 脱場所主義:ヴァーチャルな世界内での居場所の希求。この中で著者は現代が4のヴァーチャルな世界への傾向が強いことを認めつつ、一方で3で言われるヘテロトピアの可能性を示唆する。
さて〈モノ〉の否定の別の形の現われは逆説的だが〈モノ〉を凝視し、その中に新たな〈モノ〉の現われを観察する態度から生まれてきた。その意味でもう一冊の瞥見すべき書は桑島秀樹の『崇高の美学』(講談社選書メチエ、2008)である。本書は美に対抗する美的概念としての崇高の概念史を古来より跡付ける。近代においてはご存知の通り1756年のエドマンド・バークによる『崇高と美の起原』(理想社、1973)に始まり、1790年カントが『判断力批判』(岩波書店、1940)においてこの概念を確立したと言われる。しかし2人のとらえ方は異なり、バークは人間の根源的衝動に基づき、カントは理性に依拠している。そして桑島はカント的・理性的・形式的崇高の限界に思い至り、ジンメルが唱導する〈モノ〉のcontemplate(凝視)とそのdescribe(記述)から得られることの中に崇高の可能性を主張する。
過剰が現われるとき
ここまで90年代初頭からの小説・建築におけるコトバの変化、さらにそれと並行して現われてきた社会の感受性の対象としての〈モノ〉の衰退、及びそれに代わる〈ヘテロトピア的場所〉と〈凝視する崇高〉を提示した。そこでさしあたりこれら二つの概念に掉さす建築の言葉の有無を昨今の建築書の中に探してみることにした。その結果二つの本と出会った。一つは〈ヘテロトピア的場所〉の概念を彷彿とさせる乾久美子『そっと建築をおいてみると』(INAX出版、2008)、もう一つは〈凝視する崇高〉を感じさせる石上純也『ちいさな図版のまとまりから建築について考えたこと』(INAX出版、2008)であった。そしてこれら二人のコトバ、あるいはコトバの見せ方は、単に既述の問題系に連なるだけではなく、表現主体の現われ方としてこれまでとは一線を画するものを感じさせた。その理由の一つは表現するコンテンツが〈モノ〉であることをやめ、場や崇高という現象すなわち〈出来事〉へと変化し、その変化が主体のあり方に影響を及ぼしたからだと思われる。
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