象徴の貧困
ベルナール・スティグレール 著 ガブリエル・メランベルジェ他訳『象徴の貧困−ハイパーインダストリアル時代』新評論2006(2004)は以前読んだ『偶有からの哲学』の前著である。ここでも前著同様補綴性の話は出てくるが、現代における人間の補綴性が種としてITやテレビによってなされることで現代人から象徴を読み取る能力を喪失させている(象徴の貧困)と否定的に捉える。テレビは「誰でもない」意識を蔓延させ、ネットは人に先回りして欲望を規格化する。著者はこれを象徴の貧困と呼び人々の芸術性とともに政治性を失わせるという。というのも政治とはジャック・ランシエールが言うように感性の産物である。人々のsympathy(共感)とempathy(感情移入)が政治意識を生むのである。
先日ディエゴと水戸に行く時行きも帰りもずっとトランプの話で費やした。時差ぼけなどなんのそのである。その中で彼が面白いことを言っていた。二人の候補の応援団は互いに直接会うこともなく、相手と議論することもなく、相手を説得するというような場面がまるで起こらない。お互いはテレビの中に相手を見るだけである。まるでイランイラク戦争をテレビの中のみで見るヴァーチャリティーに近い。これはまさに象徴性の貧困である。
政治と芸術は紙一重である。共感と感情移入が政治を作り芸術も作る。象徴の貧困を回復するにはどうしたら良いのだろうか?