人間も物も同等に扱うこと
Marukus Gabriel のWhy the World Does Not Exist (原書はドイツ語2013)2015 Polity press は痛快な本である。彼の新しい哲学は形而上学と社会構築主義を合体する。彼の比喩で言えばべスビオ火山をソレントから見るアスリットがいてナポリから見る私がいて、ナポリから見るあなたがいるとする。形而上学では誰がどこで見ていようとベスビオ火山は一つしかない。しかし社会構築主義ではこれがソレントからアスリットが見ているベスビオ火山と、私がナポリから見ているベスビオ火山とあなたがナポリから見ているベスビオ火山と3つある。しかしマルクス・ガブリエルの提唱する新しい哲学ではこの両方つまり4つのベスビオ火山がある。そういう前提にたつと、全てを包含する世界というものは存在し得ない。なぜなら世界はそれを感受するフィールドの中に成立するのだが、そのフィールドがいくらでも存在してしまい、世界がいくらでも存在してしまうことになり、全てのことが起こる一つの世界という程定義に矛盾するのである。世界以外の全ては存在するがその全てがいっぺんに収まる世界は存在し得ないというのが結論なのである。
その結論は置いておいて、実在としての物もあり、感覚で受け取られる物もあるという双方の考え方を認めること。これはとても新しい考え方のような気がする。言語論的転回と実在論を共存させることが実は普通の感覚なのだと思うからである。