garcon anrealage shiohara sakamoto
『服の記憶』アーツ前橋2014とうい展覧会カタログの展覧会の趣旨とはなんの関係もないのだがその中に出ている文章の中に気になることが二つあった。
西洋コンプレックスの解消
一つは西谷真理子さんが書いていたコムデギャルソンのこと。それは川久保がパリ進出のときに最も注力したことは「日本人に根強い西洋コンプレックスを解消する服でありたい、身体が平べったくても丸くても、手足が短くても長くても、着られる服」という部分である。この西洋コンプレックス解消がヨーロッパ進出の優先課題だったというのは建築家にもあてはまるのではなかろうかと感じた。
日本の建築や都市が外国の視線に認められたのは言わずと知れたタウトによる桂であり、次はメタボリズム。まちがっても東京が美しいとは言われてはこなかった。そんなぐちゃぐちゃの東京にコンプレックスを持っていた建築家がそのコンプレックスを解消するために「カオス」という概念を持ち出したとみるのは穿っているだろうか?もちろんそれを最初に言いだしたのは篠原一男であろう、彼は醜い東京で建築を作らざるを得ないという東京コンプレックスをなんとかひっくり返したかった。金閣を愛する篠原が東京を「美しい」と言うことは諦めていたが、凄いとは言わせられるのではと直感的に感じ取っていた。アフリカのぼろぼろの集落と同じレベルで東京を語れるのではないかと考えた。そしてその概念は思いのほか彼の数学者としての思考の中にあった。と考えるのはそれほど穿った見方ではないような気もする。
日常の裂け目
もう一つはアンリアレジのブランド名のこと。その昔からアンリアレイジの服が好きだし、このブランド名がrealをもじったものだということも知っていたがその意味を真面目に考えたことがなかった。
このANREALAGEは「A REAL」,「UNREAL」,「AGE」の組み合わせでその意味するところは「日常の中にあって、非現実的な日常のふとした捩れに眼を向け、見逃してまいそうな些細なことからデザインの起点を抄いとる」なのだそうだ。それってほとんど坂本一成さんの言う日常の詩学である。これは驚きである。