君はエリック・ホッフアーを知っているか
エリック・ホッファーが60年代に書いたエッセィを柄谷行人が翻訳した本がある。初版は70年台だが最近(2015)ちくま学芸文庫から出版された。
まだ私が小学生のころ父親が科学というものは理論を実験して検証するものだと言って理科の仮説と実験の話をした。そしてそれは自然科学だけではなく、社会科学もそうであり、経済や法律などにも理論と実験検証があるのであり、自分のしていることは社会科学における実験と検証なのだと言って労働運動の意味について説明してくれた。親父は実は理論をやりたかったのだろう、つまりは大学に残り学者に進みたかったのだろうが金がなくて働くことになったのだと思う。
さてホッファーという人は社会科学者として理論と実践を同時並行的に行ったまれな人である。それはとんでもないエネルギーを蓄えた人であったに違いない。サンフランシスコ港で沖仲仕として労働者のリーダーとして労務者仲間に様々な本を読ませる一方でカリフォルニア大学バークレー校の教授を務めていたのである。そしてインテリ批判をした。実践の伴わない理論の薄さを批判した。僕にはそのことの意味がなんとなくわかる。大学にはそういう輩が少なからずいるように感ずる。論文偏重主義である。ペーパーを生産すれば学者の義務は果たされているかの錯覚がまかり通っているようにも思う。もちろん実践だけ行うならアカデミックセクターにいる必要はないのだが両方やることが真のインテリであろうと思う。
その意味ではホッファーは我々のモデルのような人物なのである。