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あった

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研究室の書架に探していた本が見つかった。アンソニービドラー編『建築のスペクタクルと使用』(Anthony vidler ed. Architecture between spectacle and use 2005)これは同名のシンポジウムのプロシーディングを集めたものなのだが、三部に分かれていてその第三部は「スペクタクルの再定義」称し、アンソニー・ヴィドラー「建築領域の拡張」、マーク・ウィグリー「量の歴史に向かって」、ハル・フォスター「イメージ・ビルディング」という論考が並んでいる。よく見るとすべて読んだような赤線がたくさん引いてあるのだが、、、、だいぶ忘れた。ヴィドラーはコンピューターによって建築の形態操作はますます未知の領域に入りそれは一般にフォルマリズムとして批判されるけれど、エコロジーと関連して可能性があると述べる。ウィグリーは、うろ覚えだが、とにかく建築は大きくなるし、表現は過剰になる。この過剰の歴史を書いていたような??、フォスターは先日読んでいた『デザインの犯罪』の6年前の話なのでタイトルからすると、まあポップの流れが現代のスペクタクル建築の源流とした上でそれらをイメージしやすいイメージ建築と位置づけた。
3人ともスペクタクル建築を強く否定はしていない。2005年の時点ではまだそんな状態である。そしてそれから10年たった今、フォスターは既に5年前くらいに少々批判的なことを述べ、恐らく他の二人も肯定的ではないだろう。そしてそんなスペクタクル建築の一大産地の中国では習近平がもうそう言う建築は中国にはいらないと言った。

そろそろ終わるかスペクタクル建築??

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