スティーグリッツのピクチャレスクとは?
●アルフレッド・スティーグリッツ「驟雨」
修論ゼミでピクチャレスクをテーマとする学生がいる。僕にとってこの言葉は学生時代に『建築の世紀末』を読んで以来うまく理解できない難物であり未だにその芯を掴めない。先日読んだ『アメリカンリアリズムの系譜』では写真的絵画と絵画的写真の話が出てきてその嚆矢として写真の分野ではアルフレッド・スティーグリッツが挙げられ彼のピクトリアリズム写真がピクチャレスクと評される。ここでのピクチャレスクの意味は「既に慣れ親しんだものではあるが構図が正しく、詩的で、変わらぬ価値が表現されている」ものと説明される。この説明自体すでに18世紀19世紀ピクチャレスク概念とはずれていて分かりづらい。ただピクチャレスク理論家のウィリアム・ギルピンが称揚する風景とスティーグリッツが切り取る風景には共通点があると言う。それは双方とも「既にあるなんらかのイメージに呼び寄せられて切り取られたもの」。つまり先行するなんらかの「オリジナル」の「コピー」としての表現だと言うのである。それは単なる自然ではなく単なる都市の一コマではなく。周到に計画され計算された構図であり、光であり、ものの組み合わせでありそして何よりも、それが呼び起こすであろう感情が予測できるようなイコンであるというのである。この説明は確かにピクチャレスクと言われるものに共通してある性格の様に感じる。