グローバル化に備えるとは?
与那覇は社会のグローバル化とはハイコンテクストな社会(人々が多くの価値を共有している社会)がローコンテクスト化する(価値の共有が希薄化する)ことであると述べている(与那覇潤『日本人はなぜ存在するか』集英社2013)。それを踏まえ与那覇はグローバル化に対応した教育とは英語を話せるようにさせることでは無く(もちろん話せるにこしたことは無いが)日本人の村社会の文脈で自明であることを自明視せずに自分たちとは全く異なる背景や前提の人たちに自分の考えを説明できる力を養わせることだと言っている。全く同感である。昨今いろいろな国で自分の建築を説明しながら痛感することである。
篠原一男が住宅しか作らなかったけれどグローバルな建築家だったのも、村野藤吾が文化勲章までもらってドメスティックな建築家であったのも理由はこれに尽きると思う。もちろん彼らの時代にはそれらが選べたのでありどちらが良いと言うことでは無かったのだと思う。しかしこれからの時代は恐らく世界がどんどんローコンテクスト化するなかで既述の求められる。もちろん学生にとってもそうした技量を身につけることが必須のことになることは言うまでもない。