« 安部公房の硬い字 | メイン | 国税滞納の半分は消費税だそうだ »

祭りのつながりと地形

%E5%86%99%E7%9C%9F131113edo.JPG
先日理科大の卒論発表会で市ヶ谷柳町、薬王子町あたりのお祭りの来場者はどこから来るかという調査があった。それを聞くと来場者は東西方向にはかなり遠くからも来るのだが南北方向は比較的近隣からしか来ないという結果が出ていたのである。
この二つの町は僕の住む三栄町や荒木町から外苑東通りで北上したところにある町なのでたまにジョギングしたりしてその存在は知っていたのだが、七夕祭りをしているなどまるで知らなかった。一方私の住む四ツ谷あたりも祭りはあるがその連合は東西に緊密に繋がっている。四ツ谷駅あたりから四ツ谷4丁目あたりまで10個くらいの神輿が出るがそれらは東西軸に連なるまちまちである。
さてなんで町は東西につながれど南北には切れているのか?今日江戸の地図をしげしげと眺めながら一つ気が付いた、四ツ谷あたりと市ヶ谷柳町あたりは今でこそ外苑東通りで連続しているように思えるが、この道ができたのは明治に入ってから。そして外苑東通りの下を垂直に横切る靖国通りは四ツ谷と柳町あたりを分断する谷なわけである。つまりはこうした谷筋で祭りの連なりは切られていたということなのでは?とそんな推理に至った。果たして正しいか?

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://ofda.jp/lab/mt/mt-tb.cgi/6665

コメントを投稿