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キュレターなるもの

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ハンス・ウルリッヒ・オブリスト『キュレーション―「現代アート」をつくったキュレーターたち』フィルムアート社2013は著者が20世紀のキュレーター11人にインタビューした記録である。これを読むと現代アートは彼らが作り上げてきたということがよく分かる。
その昔西村清和さんの『アートの哲学』を読んだ時にちょっとびっくりした覚えがある。現代アートはその文脈を勉強しないとその価値は分からないと書いてあったからである。つまり現代アートとは見た目の判断は困難で、誰かが作った文脈地図に価値も意味も記されているというのだ。言い換えれば誰かが「これはこういう理由でいいのだ」と宣言したからそのアートは価値を持つのであり、宣言されないものは無意味なのである。そしてその宣言をしてきた人たちがキュレーターという人種なのである。
ではキュレーターなるもの自分の勝手な好みで宣言できるのかと言えばそんなことも無い。宣言したアートを誰も相手にしてくれなければそこでキュレーター生命は終わる。だから人々の指向と時代の進行方向の交わるポイントに矢を射るのが彼らの仕事であり能力なのである。伸るか反るかのぎりぎりのところで彼らも生きているのである。

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