人のアイデンティティ、建築のアイデンティティ
浅野智彦『「若者」とは誰か―アイデンティティの30年』河出ブックス2013を読む。昔は結婚、就職、人生観が自己のアイデンティティを作っていたものが消費社会になり何を買い何を食べるかがその人を示すようになり90年代ポスト消費社会ではその人が他人とどのようにコミュニケーションをとるかがその人を決定するようになる。そしていずれもその人をその人たらしめるものはもはや単一ではなく多元化しているというのが著者の考えである。僕も概ねそう思う。そしてこのことは人だけではない、およそ人が作る表現するすべてのものが多元化している。建築も例外ではないし、僕が言うフレームとしての建築なんていうものはその典型である。建築のアイデンティティよりもその他のアイデンティティを重視しているのだから。ただそこにはフレームとしての建築は実態として不変にあり、これがこの建築のメタレベルのアイデンティティとなっている。同様に人間も時と場合で様々な人格がでてくるかもしれないが、そうした人格を収めている器というものがあり、これがこの人のメタレベルのアイデンティティを形成しているのだと思う。