不自由な自分を自覚するのが建築なのだと思う
午後『住宅特集』の近作訪問で京都の建築家魚谷繁礼さんが編集部の藤田さんといっしょに「内の家」に来られた。この家には竣工後数回来ているのでその使われ方は分かっており、何のてらいもなくお二人を案内はできるのだが、やはり少々気恥ずかしい。
中を一通り見ていただいた後の魚谷さんの感想が面白かった。「結構施工が粗いですね、でもその粗さがこの建物にはあっているような、、、、」その後彼は僕にいくつかの質問をした。主として窓周りのディテールと、インテリアの随所に出てくるアールの処理について。
それに対して僕は少し考えた。一体僕はどこまでディテールのルールを考えているのだろうか?そしてこう答えた。ディテールのルールはある程度決めているけれど、その場その場で「いい加減」に変えていますと。彼はそれに対してこう言った、「よく言えば、施工も設計も適当なところがいいですね。そしてそれはとても予想外でした」と。
なるほどそう見えるんだ。それはとても新鮮だった。そして彼に言われて自分の設計スタンスも分かった。かなり厳格にいろいろなことを考えながらそんな自分を自分で裏切っている。自分の思い通りできない自分を自覚するのが建築だと言いたげな自分がここにいるようである。