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格差再生産の構造にため息


午前中教室会議@九段、午後入試の決定会議@神楽坂、そしてその後一部の兼担の先生を交えて卒業判定会議@九段。昨日同様会議漬けの一日で九段神楽を往復。慌ただしい一日である。夜研究室で読みかけの新書を読む(橘木俊詔、迫田さやか『夫婦格差社会―二極化する結婚のかたち』中公新書2013)。このタイトルは一見夫と妻の間の格差を問題にしているようだが、そうではなく夫婦と夫婦の間の格差のことである。
簡単に言うと夫が外で働き、妻が家庭を守りつつも、夫の稼ぎが悪ければ妻がパートでもしてそれを補てんしたのが一昔前の夫婦。その時代は一億総中流だったのだが、今は妻が働くことがもはや前提となっている。加えて、稼ぎのいい夫は稼ぎのいい妻と一緒になっていることが多い。逆はもっと真で稼ぎのいい妻は稼ぎのいい夫といっしょになっている確率がとても高い。ということは稼ぎの悪い夫(妻)は稼ぎの悪い妻(夫)と一緒になっていることが多いのである。
前者のカップルをパワーカップルと呼び、後者をウィークカップルと言うそうだ。これはアメリカなどでは更に顕著な傾向なようだ。僕の世代でも僕の周りには、医者と弁護士、日銀と財務省、教授と教授、なんていうのが散見される。ということはもっと若い世代はもっとこういうカップル多いのだろう。そしてその逆も多いということである。
ウィークカップルと言う言葉はそれにしてもなんだか不愉快な言葉である。金がない人間が楽しく暮らせる社会があっていいではないか。たまたまいい教育が受けられなかった偶然が運命を決定し、それが再生産されることでこういう現象が助長されているのは明らかなのである。
高級高等教育以外が豊かさにつながる社会を作らないと国は亡びるよな!!

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