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マヤ神殿の層構成


マヤ文明の中心地だったと言われているティカルを見る。読んでいたマヤ文明の本では知り得なかった(いや書いてあったかもしれないが)ことが3つあった。
一つめはマヤ遺跡はその昔真っ赤(一部空色など)に塗られていたと言うこと。その多色性が現在のグアテマラの特徴的な織物になり、それが街のカラフルさの伝統になっている。もちろんスペインの伝統もあるのだが、スペインは内部がカラフルでも外はそれほどでもない。つまり色使いはスペイン征服後にスペインとマヤ文化が融合したというのが皆の言うところである。これを聞くとアルゼンチンのそれはアンデス文明が関係するのか、マヤあるいはスペイン征服後の混合文化が南下したのか?
二つめはピラミッドもテンプルも4層構造になっている。この写真から分かるのは一番外側の三層。長いものでは900年くらいの間に最初のモノの周りに3つの層がかぶせられるように建設された。イスモ大学の先生が、日本はあるインターバルで壊して建てなおすのに対してマヤはあるインターバルで建物の外側に建て増していく。どちらも更新していくところが似ているという。
3つ目はアンソロモルフォロジックな(人体寸法に基本を置く)形態操作。アナがマヤ建築のアンソロモルフォロジーがアンティグアに現れていると言っていた。そこでいろいろなところを図ってみた。すると特徴的な寸法が一つ見つかった。
マヤにはピラミッド(と言っても墓では無い、単に神に近づく台)とテンプルがあるが、ピラミッドの階段は僕が計った限りでは殆どが蹴上踏み面ともに30センチ内外であった(つまり45度である)。階段はひどく急で登りにくい。一尺なのだから当然である。尺は尺骨の長さと言われているので日本の単位系もインチ系とともにアンソソロモルフォロジックなのだが、マヤの階段寸法もそこから来ているのだろうか?

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