伝統は創作の出発点ではありえても回帰点ではない
昼から近代建築ランチゼミ。2時から4年卒論ゼミ、後期はM1も参戦。4時から講義、今年から始めた一部、二部合体の建築空間論。6時から3年生の製図。今日はイントロ。
夏休みも終わり後期開始。
近代建築ランチゼミは2時間金子君、天内君と徹底討論。と言っても、分離派プロ天内とメタボリズムプロ金子相手に坂牛はそれを結び付ける糸をひたすら質問しながら探すという格好である。中国で感じた徹底討論の面白さを是非日本でも持続したい。話を曖昧に終わらせずに突き詰めていく姿勢を忘れないようにしたい。
日本のモダニズム概念は誰がいつどのように生み出したのか?馬鹿の一つ覚えのように自問自答している。日本はそれを確立する前にそれをマニエリスティックに活用することに走ったのか?いやそれが日本のモダニズムだったのか?例えば丹下さんの桂の美への肉薄はそれを表している。そして篠原さんはそれをはねつけるかのようにこう言った。
Tradition may constitute a point of departure for creation, but never a home to come back to.
篠原さんの象徴空間で有名なのは白の家の柱だけれど、このSDの表紙を見ると、ここにも床柱の象徴性が無意識のうちに入りこんでいるように見える。もちろん回帰点でゃなく出発点として。