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日本建築の明日?


○最前列に並ぶゲストスピーカー

○荒木町スタジオのポイントを披露
昨晩は上海で無事に東南大の院生と空港で会えた。空港から新幹線の駅までタクシーで小一時間。なんと切符は完売で南京まで食堂車の廊下でスーツケースに座って2時間。ホテルはなんとキャンパスの中。
今日は朝からタフな時間。今年で3回目となるAAスクール東南大学の共同主催である第三回現代建築理論フォーラムの初日。完全な英語のシンポジウムに参加したのはこれが初めて。テーマは「過去を発明する(Invention of The Past)」というもの。しかも今日のゲストスピーカーと座長は。
Mark CousinsがAAスクール
Adele N. SantosとYung Ho ChangとStanford AndersonがMIT
Reinhold Martinがコロンビア
Donald BatesとJianfei Zhuがメルボルン大
そして僕(汗)。
しかも演題は
History versus Past
Professional Histories
Rational Reconstructions and Architecure
The Style Versus Method
Learning from History: A case study of the Museum Bridge in Anren
ちなみに僕のタイトルはObserving, Preserving, Transforming La Preesitenze Ambientali (preexisting surroundings)である。簡単に言うとデザインに必要なのは過去の歴史だけでは無く既にそこにある何か(歴史的物語がないもの)も重要でそれを見つけ取り入れて変形させることが重要と話した。
このメンバーがこんな演題を極めてtheoreticalに話すわけである。フーコーやらレヴィ・ストロースやら著名な社会学者や哲学者の引用満載である。これを英語でフォローするのはかなり手ごわい。いや、日本語だとしてもタフな議論である。建築の歴史がデザインにどれだけ有効か?なんていうテーマを朝から晩まで話し続けたことなどないではないか!!!
そして全員のスピーチが終わってディスカッションである。司会のDonald Bates が幸運にも私の提示した問題「歴史とは物語りである」をディスカッションイシューにとりあげてくれたのでラッキーと思ったのものつかの間。話が盛り上がって行くともう迷子である。頼むからこの状態で当てないでくれよと思っていたら、話題が建築は写真か?という問題に移動した。そしたらReinhold が僕が何故プレゼンにヴィデオを使ったのかと分かりやすい質問を投げてくれたので事なきを得た。
いやはや今日は考えされられた。先ずこんなメンバーで(明日はこれに輪をかけて凄いのが来るのだが)シンポジウムを中国で行いしかもそれをアメリカ式に本にしてしまうという企画力と資金力。そして東南大学の教授陣がこれらのメンバーに丁々発止渡り合っているという語学力。そして何よりも中国人デザイナーにとって歴史は借り物ではなく自分たちのモノという事実である。最近日本のモダニズムを考えているとどうにも日本のモダニズム概念の希薄さに焦る。そもそも日本の近代化で入ってきた様式建築が借り物なのに、それを乗り越えるために死に物狂いになるはずもない。とするならば21世紀の建築は何を乗り越えればいいのだろうか?一体僕らは希薄な歴史によって何を目指して建築を作るというのだろうか?
金もない、語学力もない、歴史も希薄な日本の状況はかなり危険である。今日のインターナショナルなメンバーにとって世界はかなりフラットなようである。そんな中でMITもコロンビアもAAも昔は日本人もいたけれど今は留学生の大半は中国と韓国だと言っていた。アジアの国の中では日本はかなりドメスティックな国に見えるようである。そうして今後インターナショナルになったChineseは華僑の協力なコネクションのもと(これは僕の推測)世界中で建築を作り始める。Donald Batesが食事をしながら、「今にイギリスの仕事の大半は中国人がやるようになる。冗談じゃない、そんな状況は10年以内にくるだろう」と言っていた。
先日のコーネルの方が言ったように日本人の建築家を彼らはもちろん知っている、安藤、妹島、西沢、伊東は最も有名ではあるが知っているのは雑誌ネットに氾濫している彼らの写真のようである。彼らが何を考えているのかと言うところまであまり知らない。そしてそういうビジュアルは一体どれだけの意味があるのかと言うのが今日のディスカッションの話題でもあった。必要なのはそれを支えるロジックだと彼らは言いたげであった。もちろん今日集まったのは世界のインテリ理論家である。限られたサークルの中だけで世界を見た気になってはいけない。そうは思う。しかしそう思って見たくないものを放っておいていいのだろうか?
昨晩も今朝もCCTVは魚釣島の話しで持ち切りである。朝ジョギングをしようか戸惑い、今週末は上海で大抗日デモがあるというメールに不安がよぎったのだがシンポジウムを終えたらそんなことはどうでもよくなってしまった。

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