ゴシックって並木か?
ジェフリー・スコットの『人間主義の建築』を翻訳した時に何故これほどまでにゴシックが否定されるのだろうか?と疑問に思った。もちろん否定の理由が書かれている書なのだが。そのポイントは建築を建築外の理屈で説明づけようとすることへ向けられる。ゴシック建築はルネサンス建築に比べて倫理的で、進化的で、物理学的であるから素晴らしいというがそれは大間違いだというわけである。
さてゴシックって本当にそういうものだろうか不思議に思い酒井健『ゴシックとは何か――大聖堂の精神史』ちくま学芸文庫2006を読んでみた。酒井氏の説明はゴシックを上記のようには説明しない。読んで最もびっくりしたのはゴシック最大の特徴であるその高さが神への志向からのみ説明されるのではなく、北フランスの農耕が切り開いた森、ブナ、ナラ、カシワなどの高木の形象化として説明されるのである。そう言われると確かにゴシックチャーチに林立する柱とリブボールとは並木のように見えなくもない。そういう風にゴシックを見ると、物理的だったり倫理的だったりと言うよりは自然なものなのかなと思ったりもする。
話は違うが、古典主義以外の芸術様式の名前は全てが否定的な意味を持っている。
ロマネスク 堕落し粗野になったローマ風
ゴシック 北方のゴート人風のというイタリア人から見た侮蔑の念がこもった言葉
バロック いびつな形を指すポルトガル語のバロッコより
結局新し様式はなんでもかんでも最初は否定される。しかし時がたてば存在する限り評価される運命なのである。