理系単科大学の悲哀
アメリカの大学で学生たちが最初に履修するのは「English101」。母国語の読み書きだそうだ。日本では「国語101」なんて必修でやる大学はない。日本という国は単民族でお互いが分かりあいやすく、しかも言葉が比較的曖昧さを許容するからなのだろうか?論理でお互いを分かり合おうとしない。しかるにアメリカではすべてその逆であるから言葉を鍛えざるを得ない。
そうやって読み書きを徹底するから専門科目においても大量の本をシャワーのように読ませる。倉部史記『看板学部と看板倒れ学部―大学教育は玉石混交』中公新書クラレ2012によれば日本の大学は4年で100冊。アメリカの大学は400冊と書かれている。しかしこれは信じられない。文系はまだしも理系の学生はそんなに読まない。僕の研究室が4年生に必死で読ませても半期12~15冊である。休みに彼らが自主的に読んだとしてもまあせいぜい30~40冊である。しかもこれは4年になって半ば強制的にやらせた数字。1年から3年までは年間10冊がいい所ではないだろうか???だから僕の部屋でも100冊は追いつかない。
そんな状態の学生の書いた文章に赤入れをしなければならなくてうんざりしている。先日坂本一成先生にそんなことを愚痴った。「ある本を作るのにそれに載せる学生の文章が読めたものではない」と言うようなことを言ったら、そんなの当然と言うような顔してそれを直すのが教師の仕事といさめられた。先生も東工大の学科誌『華』を作り上げるのにとんでもない労力を強いられたそうである。理系単科大学の悲哀である。