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キレイならいいのか?

月曜日って長いよなあ。朝早く起きるようになったらますますである。朝6時に起きて夜10時くらいまでオブリゲーションがあると思うとちょっとへこむ。でもまあへこまない体力をつけるために朝早く起きているのだから仕方ない。なんだかいたちごっこであるが。事務所行って、外で打合せして、大學来て電話して、教員と打合せして、ゼミやって、講義して、研究室の打合せ。
合間にデボラL. ロード栗原泉訳『キレイならいいのか―ビューティー・バイアス』亜紀書房2012を読みながら笑う。これ正しい!!
著者はアメリカのとても著名な法学者。化粧にも、スタイルにも、服装にも殆ど興味も関心もない学者なのだが、偉くなればなるほど、周囲から服装やら、化粧やら、髪型やらうるさく指摘されこんな本を書くはめになったようだ。
世の女性とは美しくあることをデフォルトとされており、それにとんでもないお金と時間をかけることを社会的に強要されているというわけである。一方で男性はそういう強要の程度が遥かに低い。
アメリカにはシンディ―クロフォードが一般女性にメイクアップ指導する番組があるそうだ。そして世の女性はとてもシンディクロフォードになれるはずもないと思っている。そしてこれは数十億ドル規模の産業に支えられている。一生なれないでもなりたいという願望をこの産業がデフォルトとして世の女性に埋め込んでいるのである。では男はいかに?ブラッドピットが中年男を集めて男性化粧品の指導をする番組は成立しない。世の男性にとって、そんなのなれるはずもなければなろうともしないことがデフォルトだからである。
こんなことを書くと多大な反論があるそうだ。僕も多少思わなくもない。美という感情を人間が持つ以上それは動物にも、植物にも、建築にも、絵画にも、何に対してでもその多寡はあれども存在する。だからそれを隠蔽することはできない。しかし著者が言うようにその概念が社会構築的に拡大されているのもまた事実である。美に限らずだけれど、「いいね」と言うようなものの大半は社会的産物である。それが人の差別を生む方向で産み出されてくるのならそれはまずい。

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