もっと自然に生きることに気づく時
昨日紹介した末木文美士(すえき・ふみひこ)東大名誉教授は東日本震災について、「人間の世界を超えたもっと大きな力の発動」があったのではないかと論じたところ多くの批判を招いたそうだ。しかしそれでも彼は再度そうした力―自然の底で抑圧された何者かが怒って暴れる―を認めるべきだと論じている。
こういう話を聞くと最初はなんだか胡散臭いと思うものである。
しかし今日三浦展・藤村龍二編『3.11後の建築と社会デザイン』平凡社新書2011を読んでいたら似たようなことを三浦氏が言っている。神はいないとしてもこれを単なる自然災害と思えば防波堤作って建物を鉄筋にするで終ってしまう。でも神の怒りだと思えばもっと本質的な我々の暮らしを見直すはずだ。
2人には揃って今回の災害の中に人間・科学・あるいは自然を超越した力が働いていたという認識がある。
僕は普通の唯物論者なので末木氏の考えにはちょっと距離を置いてしまうが、でも僕らの生活が近代科学で培われたデーターだけを元に紡ぎだされていると考える時代はもう終わったと思っている。もっと直観や偶然や勘や言い伝えなどに導かれて自然に生きる部分があるはずだと思っている。それは別にこんな大震災が起こったからそう思っているわけではない。おそらく今から30年くらい前に大学に入ったころからそう思っている。そしてそれは多くの僕の学友もそうだった。
しかし僕も彼らも社会に入り変ってしまった。幸い建築デザインなんてやっていた僕は比較的個性を破壊されずに生きてきたけれど、合理性や経済性優先の価値観で動く場所に行った人間は変らざるを得なかったと思う。
でも今僕らは再度昔の自分を思い出し、こんな超越した力を省みてそれを基盤として生きる部分も大事にしなくてはいけないと気付く時なのだと思う。